深田 上 免田 岡原 須恵

知ったかぶりⅡ

上永里の雲羽(くもんは)神社

 あさぎり町上南(旧、上永里川久保)にある雲羽神社に40年ぶりかに訪れてみました。

「何んか違うなー」と鳥居をくぐって進んでいくと、そう二重屋根になっていました。
私の記憶では茅・藁葺きでしかないが、宮原観音を見た時に、萱葺きの文化財を維持するのも大変なんだろうな・・・という現実がこの雲羽神社では取り込まれていました。
コンパクトデジカメでは屋根の上にまではフラッシュが当たらないが、その雰囲気は掴んで頂けるんでは。

かえる股?
雲羽神社 社殿 流造り 側面図
かえる股(拡大)

 側面写真の「流造り」では屋根構造の全体が映せてはいないが、前の方に流れた茅葺き屋根で、三間社流造(さんげんしゃながれつくり)というらしい。創建は、南北朝時代に永里城主 永里彦次郎 が建てたと伝えているが定かではないらしいが650年も前?  現在の社殿は、寛永13年(1636)に建立されたとかで、それにしても370年も前のことで町指定の文化財になっています。

 もうひとつ紹介したいのが、写真右端の"かえる股"。
京都の平等院と同じ時期に世界遺産に登録された「宇治上神社・本殿」の"かえる股"は平成13年に切手にもなっていますが、かえる股とは建築用語で、かえるを漢字で書くと「蟇」で、暮らしという字の日の部分が虫という字に似ている。で、蟇股(かえるまた)とは、かえるが水に飛び込む様を思い出していただけば、形がご理解いただけると思います。(クリックで拡大します)

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 雲羽さんにまつわる昔話は、広報あさぎりに2005年8月に「上村の私雨(わたくしあめ)」として、また、9月には「雲羽神社の天狗さま」も掲載されています。

 天から落ちなった雷さんの話は、高田素次氏 の語りで"関西しらがね会"のHP e-球磨の民話 「湯前の大明神」に掲載してありますので、お時間のある方はそちらで聞いてください。
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秋時観音 と 山頭火の句碑

 あさぎりの「相良三十三観音めぐり」をしていて30番の秋時観音の入り口に、何やら読めない句碑(句碑1)がある。じ~っと見ると……、山頭火とある。
 久鹿の了円寺の句碑を
紹介していることもあって、放置も出来ないが、免田の後、上村にも立ち寄んなったとですか?
平成17年3月に種田山頭火の生誕地の山口県防府市などから寄贈されたもの。でも思う、子どもにも読める字で裏側に刻んでいただけば、もっと山頭火ファンが増えるんではないかと。

JA5DLG のHPによると、ここには5句あるというので、1年ぶりに訪れて撮り忘れた句碑2と句碑5を撮り直ししました。
堂の屋根に落ちる銀杏の音にビックリした昨年でしたが、今年は黄色くならないままに殆どが落ちていました。

今日の道に
お彼岸の
春風の
落ち葉ふる
朝参りは

写真左から句碑1、2、3、4、5の順です。(マウスでズームアップします)

句碑1:けふのみちに たんぽゝさいた

これ自筆?
山頭火は全国を行乞(ぎょうこつ)しながら8万句以上も詠んだこともあって、山頭火のことを書いたWebは数多くありますが、
けふのみちx たんxxxxた までは解読?したんですが、「けふのみちの たんぽゝさいた」に一部似てる様な…?と、 Webで探すのに時間が掛かりましたが、「けふのみち」で検索するとやっと見つけ出しました。

次に、撮り忘れたのが駐車場にありました(句碑2)。これは講釈が要らないですね。
あさぎり町にお住まいの方の 赤く染めるは彼岸花 に彼岸花と一緒の写真があります。

句碑2:お彼岸の お彼岸花を みほとけに

参詣階段の上がり口にあるのは、

句碑3:春風の 扉ひらけば 南無阿弥陀佛

防府市の松田農園の40基のひとつ、宇治平等院の外苑、福岡県田川郡方城町や香春町にもあるらしく、これで5基目?多い句では6基もあるんだとか。

その直ぐ後ろにあるのが、これまた読めない。・・・み佛をみる。

句碑4:落葉ふる 奥ふかく み佛をみる

やっと探しました。防府市の護国寺境内の裏庭には自筆の句碑があるそうです。

秋時観音さんへの階段を登り切った左側に有る句碑は、

句碑5:朝まゐりは わたくし一人の 銀杏ちりしく

 朝方なのに薄暗い堂で写真を撮ったり参拝している際に、ドカンと音を立てて屋根に落ちてきたのが銀杏。 四国・四十四番札所 菅生山 の大寶寺(松山市)参道にも銀杏が落ちて来るんだろうかと思いを馳せる。

5句とも判って、やれやれ。
山頭火の 年表 を見ると、熊本県にもかなりの期間滞在されていたんですね。

 
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