深田 上 免田 岡原 須恵

知ったかぶりⅡ

あさぎり町の 観音さん 巡り

 球磨・人吉には相良藩が700年も続いた影響で、鎌倉文化の流れを受けた貴重な寺社や仏像が数多くあり、観音さんの信仰が盛んで「相良三十三観音巡り」も江戸時代の中期から続いているとされています。

相良三十三観音 にはその三十五体(*)の写真(クリックすると、その詳細と影像もあります)があるので、一度に拝がむことができます。
他にも人吉球磨「相良三十三観音」にもその詳細があります。

あさぎり町には、そん内の 七体 も 有ッとですよ。そん場所は、あさぎり町 ルートマップ を見ていただければ、大体の場所は判っと思いますヨ。

札 所 名 称 場 所(旧地名)
ご 本 尊
ご 利 益
19番 内山観音 深田・内山 十一面先手観音坐像 安産と病気平癒に
20番 植深田観音 深田・植深田 聖観音立像 疫病、災厄除けに
21番 永峯観音 深田・永峯 如意輪観音立像 願い事や安産に
22番 上手観音 須恵・上手 聖観音立像 安産に
22番 覚井観音 須恵・上手 十一面観音坐像 安産、家内安全に
29番 宮原観音 岡原・宮麓 聖観音坐像 子授け、安産に
30番 秋時観音 上・秋時 十一面観音立像 妊婦、家畜の守り神。
ボケ封じ、耳の病に

 須恵の上手(うわて)には2箇所に観音堂があり、同じ22番札所。水上の岩野でも同様で、24番札所が2箇所に。球磨・人吉には観音さんが多くて三十三観音にかてて貰えないのも有っそうです。

 通年開いている覚井観音以外は、年に2回(春の彼岸の中日と秋の彼岸の入りから明けまでの1週間)しか開帳されない。

 ここまで下調べをした上で、その賑わいを外した季節外れの11月に「あさぎりの観音さん巡り」をしてみました。読んでいただいて、リンクをクリックして見ていただけば、廻った気分にはなりはしませんか?

右折、内山観音、植深田観音 19内山 20植深田 21永峰 29番
19番、20番 19番・内山観音 20番・植深田観音 21番・長峯観音 29番
右折、上手観音 22上手 22覚井 29宮原 30秋時
22番 22番・上手観音 22番・覚井観音 29番・宮原観音 30番・秋時観音

 以下の説明の殆どは、案内板やWebなどからの受け売りです。

・「内山(うっちゃま)観音」堂に本来あった木造の千手観音菩薩は、明治15年と32年に二度も火災に遭われて焼け焦げなさったんだそうで、今でも堂内に保管されているらしかですが、その堂の中を覗くことは出来ませんでした。

(写真をクリックすると案内板を拡大します)
内山観音案内

 内山観音のご本尊は平成8年に迎えられたとかで未だピカピカのブロンズ製。P、W/C有り。

 昔話の "やじゃあどん" は、慈眼寺(じげんじ)の茅立て場に茅切りに行こうと思うて・・・という切り出しで始まる「木上のやじゃどん」は、こん近くに向こうとんなったみたいですばい。
(高田素次先生の語りを e-球磨の民話で聞こう)

登山口 眺め  

植深田観音堂は、登山口みたいな厳しい急な石段を上った岩崖の上に在るが、踏み代の狭い石段をどうやって年配者の方は登って行かれたのだろうか?と考えてしまいます。

観音さんへの登山口 堂からの球磨川

 今では石段が傷んでるためか、通行止め(上り口には表示はないが)になっており、脇の参拝道からのみになっている。
堂の前から球磨川を眺めながらザーッという瀬の音を聞くのいいですネ~。観音さんは球磨川を向いておられ、ここからいつも瀬音を聞いて心やすめて居られるんでしょう。案内板 W/C有り。


・県道沿いある「永峯観音」は、看板がなければ通り過ぎてしまう民家の間にあります。三十三観音の中でも、ここのご本尊だけが如意輪観音菩薩とのことで、格子の間から拝むことが出来ました。

 年代不詳の木造のご本尊なんだそうですが、270年程も前の享保19年(1734年)に補修したとの銘がある年代物だそうです。
(観音さんをクリックすると案内板があります。途中までしか写っていないのは、手前の看板が邪魔をしているから)
堂の前には、彼岸参りの茶菓子接待をした時のテントの骨組みがまだ残っていました。

永峯観音
 
21番・永峯観音
上手観音

・須恵の川瀬には水量豊かな球磨川の直ぐ傍に「上手(うわて)観音」があります。

堂の近くに大きな岩があることから岩立観音とも呼ばれ親しまれているそうですが、いつのまにか三十三観音霊場にかてられたことから、覚井観音と同じ札番になっているそうです。

22番・上手観音  

 ここも格子越しに拝むことが出来ました。(観音さんをクリックすると案内板があります。)

覚井 覚井観音

覚井観音堂は道路拡張時に移築されていて「あん角ば、右んさん入って行くんなっと在っとばい」と教えて貰わないと県道からの入り口が判り難い。案の定、右手にあった看板を見逃してしまった。ガソリンスタンドの前にも看板が欲しい。

見えなかった看板 22番・覚井観音  

 ここだけは通年開帳されており、檜の一木造りに彩色(説明文には、粗悪な塗料で全体を塗り替えられてしまい当時の品格が損なわれたとあった)された十一面観音座像を拝むことができました。

宮原(みやんはる)観音堂は黒原山の麓に位置し、宮原川の傍に在ります。
重厚な茅葺きで桃山時代の特色を示した建屋からは400年の歴史と風情(平成5~6年の改築で復元されたと案内板にあった)が感じられます。

宮原観音堂 宮原川
  宮原観音堂 清流 宮原川

当然、時期外れでは江戸時代からある金箔のご本尊は見ることは出来なんだが、彼岸以外にも旧暦の7月9日にはお祭りがあるそうです。P、W/C有り。

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2009/8/16追記
宮原観音の秋の彼岸の写真を掲載されているサイト 写真旅紀行 がありましたので、リンクを貼ります。


宮原観音堂 宮原観音堂

秋時観音には家から近かったこともあって、子どもの頃に何度か行った記憶があります。たどり着いた曲がり角にはぼけ封じの看板の対面に何やら句碑らしきものが在り、よく見ると、山頭火とある。これは別項目で紹介します。

30番 ぼけ封じ
30番・秋時観音
 

 近くの花牟礼山にあった永里城の菩提寺「珠宝寺」が明治維新頃までここに建っており、そこのご本尊であったとのことです。山水で手を洗って参拝。ここだけは何故かは知りませんが、牛などの家畜の守り神としても知られています。P、W/C有り。

 今や堂の殆どは改築・改修がなされていて、建物から往時を偲ぶことはできませんでしたが、アルミサッシュには違和感を感じます。(せめて、シルバーではなくブロンズのサッシュを使って欲しかった)
 本堂の近くには、地元の人が茶菓子や自慢の煮しめなどを振舞ったり、あさぎりの特産品を売る休憩所もあったりして、観音さんのおかげで人に出逢い、皆なで生きがいある毎日をおくる交流の場なんだな~と感じました。
「元気にしとんなったですか~?」と聞こえてきそうです。

 観音堂のある地元の方々のお守りも大変だとは思いますが、ご利益欄の殆どに 「安産に」 とあるこの大切な文化遺産を次世代に残すためにも宜しくお願いしま~す。


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