さなぼり

6.人吉の怪    (一)

 近頃、相良家の当主忠房の病状が思はしくない。元来病弱な体質ではあった。
  その上、人吉城中に徒ならぬ(ただならぬ)噂が飛び交ひ、不穏な空気がどこかしこに漂ふてゐるのである。夜ともなれば、凄まじいほどの猫の鳴き声がすると言ふ。人によっては、いやあれは人間の断末魔の叫びぢゃと言ふ者もあり、また猫の影を見たと言ふ者も出てくる始末である。
 宿直(とのゐ)の侍も奥女中も、己の勤番の夜ともなれば半ば怯え切ってゐる。
「いやァ、曲者が忍んで来たとなィば斬り捨ててでンやらうばってん、何せ魔物(まもん)ちうこつになればなァ」 と、コソとでもどこかで物音でもすれば、同輩同士お互いに顔を見合はせてゐる。
「市房神社も茂麻ヶ淵の水神社も玖月の血で相当に汚れとるちう話ばい。ばってん、どぎャん血バ洗い流してン、またそン痕の現われて来ッとらしか」
 寄ると触ると城中も城下もこの話ばかりであった。
盛誉が普門寺に討たれて以来、絶望の淵にあった玖月は愛猫玉垂を伴って茂麻ヶ淵に身を投げた。間違ひなくその怨霊であらうと云ふのが、領内での大方の見方であった。
 この頃には盛誉法印の兄湯山宗昌も、既に殺害されてゐた。日向の、とある村に潜伏してゐた宗昌は、相良の手の者により密かに抹殺されてゐたのであった。恐らく反宗昌・盛誉一味の仕業であったのであらう。否、実は密かに生き延びてをり、後に相良家への帰参が叶ひ、秀吉の朝鮮出兵の折にはこれにも出陣したと云ふ話もなくはないが、この草紙の戯作者は詳しくは知らぬ。
 いづれにせよ騒動の原点は、元を糺せば(もとをただせば)宗昌の傲岸な性格、更には頼貞と島津氏との間に付きまとふ疑惑に連なる彼の不審な行動、これらに在る、と云ってよかった。にも拘らず(かかはらず)、湯山一族が相良家に仇を為すとは許しがたい、増してや、死してまで己の怨念を晴らさむとする玖月は、家中の士にとって迷惑千万、終には憎むべき存在となりつつあった。
 真に怨霊にあらば、これは誰も手の施しやうもない事であったらう。だが、その実、ひとつは面白半分に、ひとつは多分に何かの事実を誤解して話せしものが、噂として流布(るふ)されて行ったものであらう。現に、玖月や玉垂の怨霊を見たと言ふ者があっても、それを真実として裏付ける物は何一つないのである。怨霊を怖るるか、怖れざるか、それは人の心の中にこそあらめ、と心ある者は考へてゐた。
 さて、このやうな異様な雰囲気の相良家中で、盛誉討伐の一隊に加はった者が何か不慮の死にでも遭遇すると、「さあ猫の祟りばい、玖月の恨みたい」と家中挙って(こぞって)の大騒ぎなのであった。ある侍などは、襲撃の折に千右衛門の命を受け、堂宇に積極的に火を放ったのであったが、家人の不始末から火を出し己が焼死した。これも玖月と盛誉の怨念が為せるものぢゃろうと云ふ話しになった。中でも、当主忠房の姉・佐代の痘瘡(とうさう)による疾患には、多くの者の心を震撼せしめた。幸ひにして一命だけは取り止めたものの、その容貌は一変して佐代を嘆き悲しめた。
 かうなると、城中でも城下でも多くの者が神社仏閣への参詣を始めた。特に襲撃に参加したる者や、その縁続きの者はなほの事である。魔除けの護符が飛ぶやうに売れた。祈祷所には列を成した。ただ、市房神社のみは訪れる者とて少なく閑散としてゐた。
 このやうな情勢を、深水・犬童らを中心とする家中でも黙過する訳にもゆかぬ。現に深水自身、近頃何となく体調の勝れぬ日々でもあった。家中の者達は「猫が、猫が」と言ふ。深水自身そう云ふ猫の姿を見た事もなかったので、己の体調不良がその所為だとは思はない。世間の噂の真偽の程も判らぬ。しかし、領民と家人(けにん)を脅かす存在にあらば、何らかの処置が必要であらうと判断した。
 深水は重臣に諮り、城内外のどこか適当な場所に「猫神社」を設け、貴賎を問はず参詣出来る処が必要であらうと言ふ。誰もこれに反対する理由とてない。幼君忠房も了とした。  城内と城外の一角に小さいながらも祠が設けられた。その神事が挙行されて、暫くの間平穏な月日が流れた。「猫が、怨霊が」と言ふ声も途絶えて、領民は一応これで安堵していた。  しかし、これで決して完全に終息した訳ではなかった。

    (二)

盛誉と玖月の二人が非業(ひごふ)の死を遂げて、かつての普門寺の跡地の一角には、取り敢へず自然石の墓石と卒塔婆(そとば)が建てられた。多くの村人達は二人の死を悼んで(いたんで)ゐたが、しかし一方の相良家中では、盛誉に対する功罪の評価が未だに相半ばしてゐる。ために、彼らはその家中の意向を忖度しかねての結果、このやうに粗末な代物となったのである。
 跡地には、その端のはうにまだ焼け焦げた残骸も残されてゐたし、春から夏に掛けては雑草が生ひ茂り、中には背丈ほどのものもある。特に奇特(きとく)な者でもない限り、近頃では墓参に訪れる者も滅多にゐない。盂蘭盆(うらぼん)もそろそろと云ふ時期にも拘らず、打ち棄てられたのも同然の有様となってゐた。
 この頃には、玖月や玉垂の怨霊話もちらほらと噂されてゐたので、殊更に跡地に近付かうとする者とてない。この実状を付近のある百姓が見かねた。これでは盛誉様も玖月様もあまりにも可哀想ぢゃとして、墓石周辺の清掃を思ひ立った。
 夏も盛りの夕暮れ時であった。夏蝉のかまびすしく鳴きおらぶ昼間の暑さを避けて、男はこの夕刻の頃から墓石の周りの草を丹念に抜き始めた。深く根を張ってゐる雑草は、鍬で以って掘り返した。それが済むと、その他のあらかたの場所は鎌で隈なく(くまなく)刈り取って行った。
 この作業に一刻(二時間)ばかりの時間を掛けたであらう。立ち上がって痛む腰を伸ばした。作業の後を振り返って見ると、これまでとは見紛ふ(みまがふ)ばかりに美しうなってゐる。その草を一ヶ所に掻き集め山積みにした頃には、もうあたり一面とっぷりと日も暮れて来た。流れ出る汗を腰に差した手拭で拭きつつ東の山の上を見れば、雲の間に間に月は傘を被って、申し訳程度見え隠れしてゐる。その月も徐々に広がりつつある黒雲に覆はれ、やがて己の居場所を完全に失って仕舞った。
 やっとの事で全てを済ませ、男は盛誉と玖月の二つの墓石に灯明(とうみゃう)を供へた。さうして、その墓石に掌を合はせてから家路を急がうとしてゐたのである。合掌の後、帰りの足を速めて、一町(109メートル)ほども進んだ頃であらうか。忘れ物に気付いた。男は大事な鎌を墓石の傍に置き忘れてゐた。鎌がなければ、明日の農事に支障をきたすであらう。さう考へ、再び元の場所へと引き返し始めた。
 その、つい今しがた清掃を終へたばかりの墓域に近付くにつれ、どこか怪訝(けげん)な雰囲気が感じられる。
「うン? 何ンか先ほどまでと違ふごたる……」 さう思ひながら更に近付いてみると、先ほど点じたばかりの灯明が異常に大きく燃えたかと思へば、逆に細くなったりしてゐる。その周りを、更に二つの光る物がぐるぐると巡ってゐるのである。男は息を潜め、目を凝らした。
 猫であった。目をランランと光らせて、大の男の背丈ほどもあらうかと云ふ黒の大猫であった。その大猫が墓石の周りを風を切って巡るごとに、墓石の前の灯明は大きく揺れ動いてゐるのである。
 男は、焼け残ってゐた大きな欅の影に身を隠し、息を殺して様子を窺った。しかし、隠れてゐる百姓に気付いた黒い猫は大口を開けて咆哮(はうかう)し、眼光鋭く男のはうに目を向けてゐる。今にも一気に襲ひ掛かって来さうであった。その刹那(せつな)、全身の力と云ふ力がことごとく抜けて仕舞って百姓はその場にへたり込んだ。猫との距離は凡そ五間(9メートル)ほどもあったであらう。
「こりァ、いかん。玖月様ンとこの化け猫ばい」 瞬間的にさう思ひ、男は思はず合掌した。さうして、そのまま後ずさりせむとするが、手も足も動かぬ。腰も抜けて仕舞ひ、体の自由が全く利かぬのである。大猫の眼光にすっかり射竦め(いすくめ)られて気が遠くなり、やがて昏倒(こんたう)した。
 その後、どれほどの時が経った事であらう。黒く翳って(かげって)ゐた空からはポツポツと雨も落ちて来て、やがて本降りになった。その雨にフッと我に返った百姓は、闇の中を己のはうに近付いて来る二張(ふたはり)の提灯と、その火影(ほかげ)に浮かび上がる人影を認めた。灯りの主は、男の行方を追ふてゐた女房と息子であった。雨は既に篠突く(しのつく)雨となってゐる。二人は提灯を濡らさぬために番傘の下に抱きかかへるやうにして近付いて来た。二人を確かめてこの男は、やっとの事で己を取り戻した。が、まだ足は萎えたままである。びしょ濡れになったこの百姓は、彼を探しに来た二人の手助けで漸く(やうやく)立ち上がる事が出来た。立ち上がりながら墓石の前を見ると、雨のためか、燃え切ったのか、既に灯明は消えて仕舞ってゐる。また、あの恐ろしい大猫の姿も、もうどこにも見い出せなかった。
 やっとの事で己の家に戻ってからの男は熱が下がらず、二・三日の間床に臥して(ふして)打ち震へてゐた。しかし、数日を経てその恐怖が幾分和らひで来た頃の昼間、この男は近隣の屈強の者を伴って、再び盛誉と玖月の墓前を訪れて見る事にしたのであった。すると、当夜の激しい雨でやや薄れてはゐるが、確かに墓石の周囲には何かしら大きな獣の足跡らしき物が、数限りなく残されてゐた。
 盛誉と玖月を今でも慕ひ、清掃まで買ふて出た百姓には、この大猫も何の危害も加へなかったものであらう。

    (三)

 黒木千右衛門に従ふて、普門寺襲撃に加担した一人の侍の話である。
この男は以前に相良氏の禄を食んだ(はんだ)者であったが、かつて義陽の勘気を蒙って(かうむって)人吉を離れ、山野に生活の糧を得てゐた。姓名の程は判たぬ。  某は、いつか再び人吉の相良家に復帰する機会を狙うてゐたが、なかなかその好機に恵まれる事なく徒に(いたづらに)日を過ごしてゐた。そこに黒木の普門寺襲撃の報である。自ら黒木への加勢を買ふて出て、押っ取り刀で駆け付けたのであった。幸ひに黒木とは昔からの馴染みであったため、容易にその運びとなった。
 決行の日、某は黒木の配下に先んじて真っ先に普門寺に乱入した。槍の名手でもあった。慣れぬ手付きで刀を振り回す寺男の胸を、乱入と同時に串刺しにした。二人目の寺男も、先ず戦意を喪失させるため太腿を突き、寺男の怯んだ(ひるんだ)ところを今度は己の太刀を引き抜き、滅多斬りにして絶命させた。
ところが襲撃の後、相良の老臣の中には、某の加担は出すぎた振舞いぢゃとして、眉を顰める(ひそめる)者はあっても、賞賛する者とて一人もなかったのである。本来、襲撃の必要もなかった討伐隊にまで加担したとして、帰参どころか感状さへないのだ。落命しなかっただけでも儲けものと云ふべきでもあった。
 再び鬱々たる日々を過ごしてゐた某はある夜の事、相良家の重臣上村(うへむら)氏の家人の家で焼酎を飲み、憂さを晴らしての帰宅途上であった。相良家から見れば陪臣であるが、懇意にしてゐた。提灯(ちゃうちん)もなく、僅かな月明かりばかりが頼りの野道である。この野道を過ぎたあたりで並木道になった。上から覆ひ被さるばかりの樹木の並びに、月明かりも疎らで一層暗い。  その並木道を少々進んだところで、何か女の呻き(うめき)声らしき物音に気付いた。当初、酔っぱらひの空耳かとも思ふたが、どうやらさうでもないらしい。よくよく目を凝らして見ると、松の根方に一人の女が蹲って(うづくまって)ゐる。ただ、その付近、女の周辺のみが他の所より幾分明るく思へた。某は、
「はて、面妖(めんえう)な……」 とは思ひつつも、苦しげなその女の様子に放って置く訳にもゆかぬ。 「お女中、どぎャんしたとナ?」
某が女の顔を覗き込むと、まだ若く美しい顔立ちで旅装をしてゐる。ただ、妖しい(あやしい)美しさではあった。女は苦しげな顔を上げて、
「どなた様かは存じませぬが、旅の途中での俄か(にはか)腹痛、難渋(なんじふ)いたしてをりまする。薬草なぞ何かお持ちではござゐませぬか」 と言ふ。
「薬は持っちゃおらンばってん、俺が家はもうすぐそこばい。そらァ難儀なこつたいナ。そンなら、俺が背負うてあげまッしゅ。なァに、家さん戻ッと薬ぐらゐ何かあッぢゃろ」
 某はさう言ふと、女に己の背を貸した。女は礼を言ふや、すぐ某の背の人となったのであった。背負ふと同時に、ゾクッとする冷たさを背に感じた。が、長い間夜気に当たってゐて、大方女の体も冷え切ったのであらうと某には思へた。
 元来求麻の気風として、あまり人を疑ふ事を知らぬ。好く云へば人の良さ、悪く云へばおっちょこちょいの者も決して少なくなかった。結果的に姦計に欺かれて割腹して果てた犬童九介などは、この好例であらう。であればこそ反面、己が何らかの疑念を抱かれるやうな物事については極度にこれを嫌ふ。また抱かせぬやう日頃から努めてゐたのである。これがこの付近郷村の人気(じんき)と云ふものであった。ただ、湯山宗昌のやうな一部の者を除いては。さう云ふ意味では、某も間違ひなく人の良いこの求麻の人間であった。
 かうして、女を背に一町(109メートル)ばかり歩いた頃、この女の体が徐々に重たく感じられて来た。息切れさへしてゐる。しかし、それは女の重みではなく己の酔ひの所為ぢゃらうと、この人の良い男は考へてゐた。
 ややあって、某は思ひ切って己の背の女に尋ねてみた。
「女子(をなご)の夜道はきつかろうばってん、いったいどこまで行きなさッと?」
「はい、岩野の普門寺と湯山の茂麻ヶ淵まででござす」
 女がさう答へた途端、某の背は凍り付き、己の首に絡み(からみ)ついてゐる女の腕を急いで振り払はむとした。だが、その腕は容易には解けぬ(ほどけぬ)。振り払ひ、解かうとするほどに、その女の重さは、もう某には耐へられないものとなった。瞬間的に、「こいは変化(へんげ)ぢゃ、魔物(まもん)たい」と思ひつつ、ふと己の首の周りを見ると、女の白い細腕であった筈のものが、いつの間にか真っ黒の毛むくぢゃらになってゐる。
 アッと驚いて、某が脇差に手を掛け、引き抜いた瞬間であった。女と入れ替はって、目をランランと光らせた大猫が、某の首筋から咽喉許(のどもと)に掛けてガブリと噛み付いたのである。某は物も言はずにその場に倒れ伏した。同時に女と猫の影は、フッと闇の中に何処ともなく掻き消されて、二度と見られなくなって仕舞った。某の首からはコンコンと夥しい鮮血が噴き出してゐる。その鮮血は、月影に照らされた白い夜道をいつまでも濡らし続けてゐた。
 遺骸が発見されたのは翌朝である。畑仕事に出向く百姓が見付けた。某は己の首を掻っ切った(かっきった)らしく、血糊(ちのり)に濡れた脇差を右手に握ったままで、冷たい骸(むくろ)となってゐた。



本堂   蟇股

千光寺本堂(出典:ホトカミ)

 

人面猫の蟇股(出典:Livedoor)

 上の写真は、本堂に設けられている鰐口(わにぐち)前の蟇股(かえるまた)です。
猫というよりも、人面猫なのか?珍しい彫刻です。Livedoorサイトでご確認下さい。


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