さなぼり

5.悔 恨 (かいこん)    (一)

 普門寺襲撃も一ト月(ひとつき)ほど経った頃から、米良の黒木千右衛門にも事の真相の一端が見え始めて来た。聞くところに依れば、早馬として人吉を発った犬童九介は腹を掻っ捌いて(かっさばいて)果てたと云ふ。また、盛誉が母・玖月は世を儚み(はかなみ)、猫を抱いて身を投げたとも聞く。様々な事が千右衛門の耳に伝はってきた。
「ああ、俺は殺さんでもよか人バ斬って仕舞ふたとか。何で九介殿ナ、大事か早馬ちうとに焼酎なんぞ飲んで仕舞ふたとや。俺も、功名心に逸って(はやって)仕事バ引き受けたとが、そもそもの間違ひぢゃッたとォ」
と、九介を恨みにさへ思ひ、更には己の軽率を悔やんでも悔やみ切れぬのである。
 近頃、襲撃の折の夢もよく見る。
 千右衛門は坊主頭の首を打ち落とした。その首が須弥壇(しゅみだん)の前まで転がって行くと、どこからともなく真っ黒な大猫が現れて、血塗られた口に坊主の首を銜へ(くはへ)、己に近付いて来る。千右衛門の前まで来ると、その首はいきなりクワッと両眼を見開き、ニヤリと笑ふ。その途端目が覚めるのであるが、これによく似たる夢は幾度となく見て、その都度寝汗をびっしょりかいてゐる。目覚めた後は殆んどもう寝就かれず、千右衛門は夜具の上でただ合掌したまま朝を迎へるのであった。
 ある夜半の事である。枕許で、「千右衛門どの、千右衛門どの」
と、己を呼ばはる声がする。体を起こさうにも起き上がれなかったが、その声の方に目を遣ると一人の老婆が座してゐる。顔付きは若いやうにも思はれた。老婆と感じたのは、振り乱した髪と、痩せ衰えた姿の所為(せゐ)であったかも知れぬ。女は衣を纏って(まとって)ゐたやうにも思ふ。とにかく老婆に見えた。その老婆の傍に何やら置いてある。
 その何やらを虚ろ眼(うつろまなこ)で見た千右衛門は、アッと声を上げさうになった。今度は間違ひなく盛誉が首である。まだ血塗られたままの生首であった。その首の主だけは、はっきりと識別出来た。
「南無阿弥陀仏、なまんだぶ、なまんだぶ、なむ……」
彼は起き上がれぬまま一心に念仏を唱へた。必死であった。隠れ念仏である事も忘れてゐた。
 この頃から遡る(さかのぼる)事数十年前、相良氏は晴広の代に島津氏同様一向宗(いっかうしゅう)を禁じてゐた。家法「相良氏法度」に追加制定したもので、違反者には重大な刑罰が課せられた。一向宗はただ一向(ひたすら)に阿弥陀如来を唯一神として信奉し、地上の君主でさへ否定した。戦国期の各大名は、この一向門徒による一揆を忌避し、かつ恐れた。信長・家康なども大いにこの一揆に悩まされたのであった。
 いずれにせよ念仏の効験があったものか、千右衛門はややあって体の自由を取り戻した。夢であったのか現(うつつ)であったのか判らぬ。否、現にその場に老婆がゐて、盛誉の首が間違ひなくあったと思ふ。
 かうした日夜が幾日も続いた。最近の千右衛門は日中と雖も(いへども)、田畑の見回りにも行かぬ。ただ二六時中(にろくじちゅう)呆然(ばうぜん)と過ごしてゐる。時折、
「猫が……。老婆が……」 と、意味不明の言葉を発するのみである。
 千右衛門はまだ独り身で、父を早く亡くして後は母御との二人暮らしであった。その日々衰へ行く我が子を見て、母御の心労も尋常ではない。
「どぎャんしやッたとかい。何か魔物にでン取り付かれたごたる顔バしとらす」
と、その母御が尋ねても勃然(ぼつぜん)たる面持ちで、
「疲ればい。大事なかと」 さう答へるばかりであった。
 更に数日を経た後、千右衛門はこれまでとは違ふ不思議な夢を見たのである。

    (二)

 美しい女であった。輝くばかりの高貴な女性(にょしゃう)に思はれた。その女が、明日の巳の刻(午前十時)に山間(やまあひ)の池に来て欲しいと懇願するのである。
 米良の村人でも知る人ぞ知ると云ふ処である。さう頻繁に人の出入りする場処ではない。女は、千右衛門の太刀も持参して己に見せてくれと言ふ。
 近頃の千右衛門は、もう殆んどと云ってよく現実と夢の境が定かではなくなってゐた。日々、己も訳も解らぬまま苛立ち、母御に対しても怒鳴り散らすだけなのであった。
 翌朝になって、千右衛門は母御に、「ちと出掛けて来る」と言ふ。どこまでとは言はない。ただ、プイと家を出て行ったきりである。太刀こそ腰に落としてはゐるが、着る物はそこいらの野良着のやうな代物であった。
 千右衛門が、その覚束ない(おぼつかない)足取りでフラフラと出て行ったと見るや、母御は近くに住まう喜助の許に走った。以前からの段取りであったが、千右衛門に不審な行動が見て取れた時には、後を尾けて行って見てはくれぬかと依頼してゐたのである。喜助はどこか軽薄なところのある、遊び人風の嫌ひのある男ではあったが、この場合、いとも簡単にその任を引き受けた。
 この日も、日に増して衰えてゐる千右衛門である筈なのに、以前の千右衛門と何ら変はりはない。否、却ってその足は普段よりも速いぐらゐで、山深く登って行く。後を追う喜助も追い着けぬほどであった。
 さほど高くない山と山の間の谷川に沿ひ、更に樹間を縫うて登って行くと、やがて淵とも池ともつかぬ場所に出た。湯山の茂麻ヶ淵にもやや似てゐるが、ここのはうがはるかに広い。近隣では竜神池とも呼ばれてゐる処である。
 そこに着いて見ると、それらしき人影もない。千右衛門は周囲(あたり)一面を見渡した。すると、不意に後ろから女の声がした。「千右衛門さま」と呼び掛けるその声に振り返ってみれば、この世の者とは思へぬ美貌の女性がそこに立ってゐる。女は、
「千右衛門さま、お待ち申し上げてをりました。そなた様の武勇は、疾う(とう)に私も存じ上げてをりまする。私は故ありて身分も名も明かせぬ身なれど、前々からそなた様におめもじ願ひたく、いたく想ひ念じてござりました」
 この付近の者とは思へぬ丁寧で上品な物言ひであった。千右衛門は驚きのあまり声も出ない。女は続けて、
「私もそなた様から色々お話を伺ひたうござゐまするが、その前に……」 と、女は千右衛門の後方の木立の中を指し示して、
「誰かが、私どもの逢瀬(あふせ)の様子を窺ふ(うかがふ)てをりまする。それが……」邪魔だと言はむばかりに千右衛門に目で合図をしてゐる。
「何てナ?」
 千右衛門は二度ほどクシャミをしていきなり木立の中に走り出した。彼の昔からの性癖であったが、大事に臨むと不思議とクシャミを催す。しかし、同時に抜刀(ばったう)してゐた。その動きたるや軽捷(けいしょう)果敢、近頃の千右衛門とはまるで違ふ早さであった。
 木陰に隠れてゐたのは喜助である。急いで逃げやうとしたが、その隙もなかった。アッと言ふ間もなく追ひ付かれて、その首は、千右衛門の刃によって藪の中まで飛ばされてゐた。天下一の兵法者、タイ捨流丸目徹斎(まるめてっさい・蔵人佐長恵)先生より直に手ほどきを受けし事があると言ふだけに、恐るべき凄腕であった。平素見知ってゐる筈の喜助であるのに、千右衛門はもう完全に己を見失ってゐる。斬った後も血刀をぶら提げて、平然としてゐるのである。
「何と見事なお腕前と差料(さしれう)にござりまする事か。さぞこのお刀で、幾多の戦に立派なお働きをなすったのでござゐませう。私にもそのお刀を拝見させていただけませぬか」
 己の近くで人一人が殺害されたにも拘らず(かかはらず)、この女はまるで何事もなかったかのやうに、ただどこかに妖しげな微笑みを含んで、千右衛門の血刀を見せてくれと言ふ。
 千右衛門は女にその血刀を差し出さうとした。その時である。ガオーッと云ふ凄まじき声とともに一匹の大猫が、千右衛門の後ろから飛び掛って来た。
 真っ黒な大猫は首から背にかけて覆ひ被さってゐる。驚いた千右衛門はその刀で以って、己の肩越しにその猫を突き抜かうとした。が、傍らの地上に飛び出た大木の根元に躓いた(つまづ)千右衛門は、前のめりに倒れ伏した。その瞬間、どうしたものか刃の切っ先は猫ではなく、己の咽喉許をこそ刺し貫いたのである。ほんの一瞬の出来事で、当の本人も何事が出来(しゅったい)したのか分かたぬ風でさへあった。
 ややあって千右衛門はもがき苦しみ始めた。刀は首を貫いたままである。が、やっとの事で立ち上がり、よろめきつつ池の傍まで数歩歩いた。その姿は、女の手招きによって池の底までゆっくりと誘はれ(いざなはれ)て進んでゐるやうな、そんな足取りでさへあった。それから、崩れ込むやうにして池に身を委ねた千右衛門は、池畔から池の中央付近までゆっくりと浮遊して進み、やがて水底深く沈んだ。あとには真っ赤な血が、波のまにまに揺らめいてゐる。
 時を経ずして、池の周辺にはいつの間にか朝靄が立ち昇って来た。さうして、その中にこの不思議な女の姿はすっぽりと包み込まれて仕舞ひ、再び見る事は出来なかった。入水(じゅすい)による水のざわめきだけが、ただ、いつまでも残されてゐた。
 この喜助が千右衛門に殺害され、更に千右衛門の野辺の送りも済んで暫く経った頃、千右衛門の母御も人伝(ひとづて)に聞いた事であったが、生前の喜助は時折、
「こぎャん良か話はなかばい。千右衛門さんの後バ尾けて行くだけで、ほんに良か銭儲け(ぜにまうけ)の出来ッと」 と、仲間内で密かに話してゐたと云ふ。
さう云へば確かに母御の許に来ては、千右衛門さんの尾行をしたが途中で見失ふて仕舞ふた、これぢゃおちおち仕事も出来ぬと、暗に金品をねだった事が数度あった。
 喜助が本当に尾行してゐたのかどうかは判らぬ。それでも母御はその都度、幾ばくかの金子を喜助に握らせてゐたのである。



守り札

江戸時代から伝わる版木で刷られた守り札(出典:おるとくまもと)一体 千円

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