さなぼり

第三話  いろいろな触れ撫で祈願

 本項は、集団の触れ祈願だけでなく、珍しいものや美しいものに対する認識を深め、感触を体感するため、触り・撫でする習俗についての話である。


 1.神様頼りの触れ撫で祈願祭り

 神様やご神体は、山や巨木など自然である場合もあるが、人が神男という神様になって、神男に触れて厄を落とし、厄災退散、福運招来を祈願する祭りが愛知県稲沢市にある。国府宮神社の「はだか祭り」である。この祭りは、図18左に示すように、下帯姿の裸男を押しのけ、飛び越えて神男に近づき、触れんがために揉みあう寒中の壮観な祭りである。

 図の中央は、直径30センチほど、重さ8キロの陽玉や重さ11キロの陰玉に触れ、奪い合って吉凶を占う福岡市箱崎八幡宮の「玉せせり(玉取祭)」行事である。「せせり」とは、触りいじくり回すこと、「なぶり」に似た方言である。この行事の神様は、「霊珠(陽玉)」という祓い清められた木製の玉であるが、この玉は北海道や山梨県などにある神社の神様が宿る「神玉(かみたま)」ではない。しかし、この玉に触れると厄災を逃れ、幸運を授かるとの伝えがある。

はだか祭
図18 国府宮の「はだか祭り」(左)、箱崎八幡宮玉せせり(中)、西大寺のはだか祭り(右)

 図の右は、岡山市西大寺の「はだか祭り」である。ここの奪い合う神様は「宝木(しんぎ)」という直径4センチ、長さ20センチの木の棒である。もともと守護札(紙)だったそうであるが破損するため木に変えたのだそうである。木の棒と言っても、前もっての原木伐採、成形、清祓、研磨後の護符である。護符としての「宝木」に触れ、奪い合うのだが、その始まりは深夜に参詣者が本堂に集まり、すべての明かりが消されると、窓から「宝木」が投げ入れられ、それに触れ奪おうと裸男が殺到し、揉みあう行事である。宝木に触れ、手に入れた者は福男と呼ばれ、その年の幸福が約束されそうである。

 ご神体に触れて祈願する祭りで最もユニークなのが、先にも紹介した愛知県小牧市田縣(たがた)神社の豊年祭りである。この祭りは、木曽ヒノキで作った直径60センチ、長さ2メートル余りの大男茎形を御輿に載せ、厄男たちがお旅所から田縣神社まで担ぎ、男茎形に触れることによって子孫繁栄や豊穣を祈願する祭である。ちなみに、近くの犬山市には大縣(おおあがた)神社があり、女性器の形をした「姫石」が祀ってあり、安産・子授け・縁結びのご利益を信じて神輿行列が行われる。

 

 2.著名人にあやかる撫で祈願

 千葉県船橋市や岡山県倉敷市などにもあるが、デンマークのコペンハーゲン庁舎近くには図19(左)に示すアンデルセンの銅像がある。足膝や手に持つ本は緑青が消失するほど手ずれしている。アンデルセン像をなぜ人が触れ・撫でるのか、有名人に対する好奇心なのか、案内によると、童話の夢幻世界を肌で感じるためだそうである。
 図の中央は、アメリカマサチューセッツ州ボストン近郊にあるハーバード大学の創立者、ジョンハーバードの銅像で、大学正面道に置かれている。訪れたときは受験シーズンで、多くの受験生がやっと手の届く高さの銅像左足の靴に触れ、撫でて通り過ぎていた。兵庫県豊岡市には東大初代総長であった加藤弘之の胸像があり、シーズンになると受験生に撫でられ、合格祈願をされている。
 図の右は、東京都葛飾区柴又駅前の「男はつらいよ」、寅さんの旅姿立像である。左足先を拡大した図が右端であるが、この左足に触れ・撫でて願い事をすれば叶うということから足に触れる観光客が増え、特に雪駄履きの左足先は手ずれ光りをしている。なぜ左足なのか、その理由を柴又寅さん記念館の方は、右足は雪駄を落としているのに、左足の方は脱げ落ちていなく「運が落ちないから」と答えられている。近くには、フーテンの寅さんを見送る妹の「さくら像」も立っている。

著名人
図19 アンデルセンの撫で膝(左)、ハーバード像の撫で足(中)、寅さんの撫で足(右)

 

 3.触れない撫で仏

 手ずれ損傷から文化財を保護するという観点からではなく、諸々の事情から撫で祈願が目的の撫で仏が、触れたり撫でたりできそうもない例が幾つかある。まず、図20左は熊本県山鹿市の日輪寺にある巨大なびんずる尊者像である。高さは30m、幅は10m、頭は6m、手は3m、材料は繊維強化プラスチック複合材(FRP)で造られている。撫で仏は、もともと撫で祈願を旨として造立されるものであるから、このような大きな撫で仏では、どこを撫でるのか、手が届くのは数mもある足である。近くの小屋にミニびんずる像が置いてあって、それを撫でることになっているが、熊本地震のあと倒れたまま、涅槃仏(ねはんぶつ)のように横たわっている。涅槃仏は釈迦であり、寝びんずる像では撫で効験があるのか疑わしい。
 三重県の松坂市には、びんずるさんの撫で祈願があまり推奨されないような置かれ方をしてあるところがある。同図の中央は、松坂市の継松寺にあるびんずるさんで、扉の中に鎮座している。同図の右も松坂市の善福寺のびんずるさんで、なんと柵に囲まれているびんずるさんである。これでは触ることも撫でることもできない。そのほか、有名な東大寺のびんずるさんは拝殿正面の縁側の高いところに座っておられ、やっと尊者の足に手が届く位置にある。鎌倉の建長寺のびんずるさんは冬の寒風の通り道である山門下に設置してある。
 撫でたいと思って訪ねても仏が現存しない例もある。長野県上田市の北山観音のびんずるさんは手ずれ損耗が顕著だというので調査に向かった。しかし住職から、損耗が激しいので新しく作り変えたと告げられ、がっかりした覚えがある。昔の像はこうだったと写真を見せてもらったが、手ずれによる変形窪みは、何百年にわたる祈願者の証であり、不易尊者像として継続してほしかった。

触れない
図20 撫で難いびんずる尊者像

 

 4.感触・好奇の触れ合い

 珍しいものや貴重なもの及び美しいものなどに触れてみたいと思うのは、祈りや願いのためだけではない。感触を味わい、その物に対する認識を深め確信したいからである。そんな例の幾つかを紹介しよう。図21左は、兵庫県津名町の一億円の金塊を触れる家族の写真である。平成元年(1989年)、竹下内閣の頃、ふるさと創生事業として、全国の市区町村に一律一億円が交付された。使途に国は関与せず、自治体任せとしたため、津名町のように金塊を購入した自治体もあった。「百聞は一見に如かず」の諺があるが、感情として、目に触れるだけではもの足らず、こうして触って感触を味わえば満足することになる。しかし自治体のこの金塊購入には後日談がある。それは元値を大きく割ってしまうほどの金の価格の下落である。あわてて売却した自治体があったと聞いたことがある。ところが、24年経た現在の金価格は高騰しており、先のことは分からないものである。

 同図の中1は、名古屋城天守閣の金の鯱である。平成17年(2005年)名古屋城博覧会が開催され、天守閣の金の鯱が地上に下され公開された。筆者も見たいのではなく、触ってどんなか感触なのか味わいたくて触りに行った。金の鯱の鱗は意外と暖かく、柔らかい感じの温もりであった。
 同図の中2の左側は、善光寺の極楽の錠前イラストである。これは善光寺事務局の出典らしいので拝借した。この錠前は真っ暗な戒壇巡りの通路壁にあり、これに触ることによって本尊に触れたことになり、極楽往生ができると大変尊ばれているものである。そのような言い伝えが何百年も続き、触られているわけであるから相当な手ずれが予想される。しかし、撮影禁止なのでなかなか実際の錠前の状況は分からない。ところが善光寺発祥の地、飯田市にある元善光寺の錠前は同図の中2右側のようなもので、寺のサイトによると信州善光寺の極楽の錠前と同じ形のものだそうである。このように、真っ暗闇の中で触られ、撫でられた極楽の錠前は金属光沢があり、顕著に手ずれしている、このことから、信州善光寺の錠前はもっと手ずれが進行しているものと想像できる。  図の右端は京都市上京区大報恩寺、陣内柱の刀傷である。どうして出来た傷かというと、応仁の乱のときである。大報恩寺あたりは西軍の中心部であったが西軍の将、山名宗全のはからいもあってこの本堂は残された。刀傷跡はその後、当時の歴史のひとこまを感じ取れるものとして観光客に触れ撫でられている。そのため、傷跡は手ずれして滑らかになっている。筆者も訪ねたことがあるが、堂内はほとんど照明がなく、柱に辿り着いても、刀傷跡は長年の手ずれで小さく滑らかになっており、撫で探すのに時間がかかった。

触れたい
図21 金塊(左)、名古屋城の金の鯱(中1)、極楽の錠前(中2)、大報恩寺の刀傷(右)

 さきほど、一億円金塊は撤去され、市民も触れられなくなったと書いたが、ついでだから少し専門的になるが、著者は別の観点から撫で続けると金塊が減ってしまうという話をしたいと思う。この結果は、「さなぼり談義第1話」でも延べたが、邪馬台国畿内説の一つがおかしいことを指摘するためであった。つまり、伝世鏡手ずれの実証的研究の一環として、簡単に手ずれが生じる金や銀などや柔らかい金属を用いての手ずれ実験をしたときのプレミアム話である。

実験
図22 指摩擦1万回後の金メッキ膜(左)、摩擦前(中)、指摩擦10万回後の純銀の手ずれ(右)

 図22の左と中央は、金メッキ層を1万回、指先で擦った前後の金メッキ膜の厚さ変化である。図から明らかなように、金の膜厚は約1/4に減っている。したがって、荒れた手指で撫で続けたら何百年後かには金塊は半減するかも知れないのである。ついでだから純銀の結果も同図右端に示した。これは指先でたった10回擦ったときの電子顕微鏡写真である。指の角質指紋によって1ミクロン(1/1000mm)幅の引掻き傷が生じている。指先で削り取られたミクロン単位の銀の摩耗粉は、指先の角質層に取り込まれて排出される。これをX線分析すると銀が検出され、この銀の摩耗粉が、あたかも磨き砂のような働きをして、このような傷を形成したものである。柔らかい金属だから手ずれしたのではない。微視的には硬い金属でも同様な損傷が生じて損耗することは手ずれした木造やブロンズ像、それに石像からも分かる。

 

 5.様々な撫で祈願

 四日市市西富田にある弘法山田村寺では、冬至には「かぼちゃ大師中風祈祷会」が行われる。その様子が図23左である。この寺では、「かぼちゃを食べると中風に効く」という言い伝えがある。中気(ちゅき)とか中風(ちゅうふう)とは昔の言い方で、今流では脳卒中や脳血栓などの脳血管疾患のこと、半身不随や言語障害をまねくなど怖い病気である。参拝者は自分の患い箇所を寺に置いて帰るために、お供えされた50キロもある大きなかぼちゃを撫でて自分の患い箇所を撫でるのだそうである。
 岐阜県揖斐郡にある谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)には、同図中央のような「撫で鯉」がある。西国三十三所霊場巡礼者が本願成就の帰り際、鯉を撫で、その指をなめて精進落しをするのだそうである。なぜこの寺に「撫で鯉」があるかというと、この寺は西国第三十三の満願霊場だからである。精進落としを早く済ませて魚や肉を食べたいという気持ちはよく理解できるが、魚を撫で、撫でた指をなめる奇習はおそらくここだけだろう。香川県さぬき市の四国八十八所霊場、最後の札所である大窪寺にもこのような習慣があるのだろうか?調べたがこのような精進落としはなさそうで、同行の金剛杖を収めた後のお接待所では名物の「打ち込みうどん」が振る舞われるとある。

祈願
図23 田村寺の撫でかぼちゃ(左)、華厳寺の撫で鯉(中)、二見興玉神社の撫でカエル(右)

 図の右端は、夫婦岩で有名な三重県伊勢市の二見興玉(ふたみおきたま)神社の「撫でカエル」である。「カエル(蛙)」は「帰る」、伊勢神宮参拝者が旅の安全や航海の安穏を祈念して無事に「かえる」ことを念じたものだそうであるが、盗まれた、なくした財布が「かえる」ご利益があるとも書いてある。なぜ「蛙」なのかというと、祭神である猿田彦大神の神使が蛙だからだそうである。撫で祈願では十二支をはじめ、あらゆる生き物が神使にされているが、ここでは蛙さんである。


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