さなぼり

第二話  十二支の撫で祈願

 1.「子:ね」撫でねずみ

 ドイツ最古の大学都市ハイデルベルグの橋のたもとには小さな撫でねずみの像がある。これを撫でると再来できると伝えられており、私もそれを期して撫でてきたがまだ叶っていない。
わが国でも、京都の大豊神社など、ねずみの撫で祈願神社はあるが、最も顕著に撫で痕跡が認められるのは。有名なねずみ男である。だらしない恰好のこの男、突起部はみんなに触られて図6のようにピカピカ光っている。写真は水木しげるロードのねずみ男だが、この男への願い事は金権政治家になることだろうか。京都の大豊神社には狛犬ならぬ狛鼠があるが撫で祈願の習わしはない。

ねずみ男
図6 子 ねずみ男の手ずれ(水木しげるロード)

 2.「丑:うし」撫で牛

 撫で牛信仰は江戸時代中期といわれているが、多くの八幡さんには撫で牛が奉納されている。なかでも大宰府天満宮の撫で牛は最も広く知られているが、なぜ臥牛(がぎゅう)なのか、菅原道真公が丑年生れ、墓所は牛が座り込んだ所との遺言があったからだそうである。撫でることによる学問成就等のご利益は後世のもので、撫で牛の習俗そのものが、別項で述べる撫で仏を基にはじまったものである。図7は太宰府天満宮の御神牛、撫でられ続け、鼻筋は年中ピカピカである。

撫で牛
図7 牛 大宰府天満宮の撫で牛

 3.「寅:とら」撫で虎

 群馬県藤岡市の諏訪神社では狛虎(図8左)が縁結びの撫で祈願となっている。撫で虎なのに、柔らかい大谷石(おおやいし)で作られているので触ることはできないとのことである。撫でる回数が増えると石でも手ずれしてしまうからである。奈良県の信貴山朝護孫子寺(しぎさん ちょうごそんしじ)にも撫で虎(図8右)がおいてあり、虎の足を撫でると願いが叶い、くわえたお札を触ると金運が上がるそうである。

撫で虎
図8 寅 諏訪神社の撫で虎(左) と 信貴山の撫で虎(右)

 4.「卯:う」撫で兎

 宮崎県日南市の鵜戸神宮(うどじんぐう)の岩窟には撫で兎(図9左)がいる。茶色に変色している地肌箇所は触れ・撫でが繰り返されたことによる手ずれ跡である。そばには撫で兎の趣意高札と賽銭箱がある。ここでは兎は神使、効験は病気快癒、開運だそうである。ここでは亀石への運玉投げ占いもある。
 滋賀県豊郷町の豊郷小学校旧校舎階段には、これまでのような、大人の商魂たくましい撫で祈願習俗ではないのに、甚だしく手ずれした兎と亀がいる(図9右)。この旧校舎は昭和12年(1937年)にアメリカの建築家によって設計されたもので、当時は東洋一の小学校、白亜の教育殿堂と呼ばれた校舎である。行政による取り壊しの憂き目にあったが住民の強い要請によって現存し、活用されている。その兎は、寓話の「兎と亀」の駆け比べであり、上り階段手摺がスタート地点となっている。これからの駆けっこ競争に兎も亀も、子供たちに「おまえたちがんばれよ!」と撫でられながら声かけられたことだろう。階段を上ると踊り場があり、そこの手摺には兎が居眠りしている像が置いてある。ここでは多分「起きないと追い越されるよ!」と子供たちは撫でながら声かけたことだろう。急な階段手摺の真ん中には遅れた亀がゆっくり這い登っている銅の像がある。

撫で兎
図9 卯 鵜戸神宮の撫で兎(左) と 三豊郷小学校旧校舎の撫で兎(右)

 ここで子供たちは「頑張れ!あきらめないで頑張れ!」と背中を撫で、励ましたことが背中の顕著な手ずれ跡から想像できる。

 5.「辰:たつ」撫で龍(りゅう)

 諺に「龍(りゅう)の髭(ひげ)を撫でる」というのがある。意味は「虎の尾を踏む」と同じで極めて危険なことをすることのたとえである。そうであれば龍の撫で祈願習俗はないだろと思って調べてみると、やはりあった。東京都には上り龍を彫刻した鳥居の柱に触れると開運がアップするという稲荷神社があり、竜神を撫で祈願すると昇運が授かるという神社もある。
昨年は卯年、今年は辰年であるが大阪府の八尾市にある恩智(おんじ)神社には兎と龍の撫で祈願があり、連続の干支の置物、なかなかの商魂である。図10左は、恩智神社の石造撫で龍であるが、龍が持っている玉、如意宝珠(にょいほうじゅ)が手ずれ光りしている。
 三重県伊勢市にある松尾観音寺には珍しい撫で龍がいる。彫像ではなく、図の右に示すような御堂床板の板目が撫で龍となっているのである。濡れた雑巾がけなど、個体での拭き掃除は禁物、田縣神社(たがたじんじゃ)のご神体撫でで述べたように、乾拭きや手掌での撫で拭きが最適、艶も維持できる。

 
図10 辰 恩智神社の撫で龍(左) と 松尾観音寺の撫で龍(右)

 6.「巳:み」撫で蛇

 脱皮をする蛇は復活と再生を意味するため、古くから不老長寿や強い生命力につながる縁起のいい生き物と考えられ、崇められてきた。宮城県には蛇が祭神の「金蛇水(かなへびすい)神社」があり、蛇紋岩の撫で蛇が彫刻され並んでいる。また、埼玉県川越市の川越熊野神社には撫で蛇様が祀られている。撫でる場所によってご利益が変わるそうで、頭を撫でると学業成就・合格必勝、身体を撫でると健康・病気快癒といった具合である。
 東京都葛飾区の葛西神社の撫で蛇様は白蛇(図11左)で、どこを撫でても開運招福があるそうである。あじさい庭園で有名な京都府宇治市の三室戸寺には狛兎の他に狛蛇(図11右)の石像がある。蛇の方に触れると蛇の恩返し(ご利益)があるとのことである。娘さんが生きた蛇撫でをする場面がよく放映されるが、蛇など爬虫類は撫でて喜ぶ箇所はないそうである。筆者はねずみ年のせいなのか、触ってみたいという願望は全く生じない。

撫で蛇
図11 巳 葛西神社の撫で白蛇(左) と 三室戸寺の狛蛇(右)

 7.「午:うま」撫で馬

 宮城県気仙沼市の早馬(はやま)神社には図12左のように、北条政子が安産祈願をしたと伝えられる撫で馬像が置かれている。出雲大社には、図の右のようなブロンズの神馬が撫で馬となって馬小屋につながれている。神馬は神が騎乗するもの、神様の使いである神使馬である。この神馬も子宝安産のご利益があるとかで撫で撫でされて長い顔がぴかぴかしている。こんな神馬に触れては罰が当たりそうな気がするのだが、つい手を出したくなるほどめんこい。
 生きている神馬がいる神社もある。皇祖神を祀る伊勢神宮などであるが、嚙まれそうだからではなく恐れ多くて撫でたりできない。神馬は、宮内庁の御料牧場で飼育されているが、馬が日本に輸入されたのは古墳時代であり、神馬信仰や大和王朝も古墳時代以降であることがわかる。

撫で馬
図12 午 早馬神社の撫で馬(左) と 出雲大社の撫で神馬(右)

 8.「未:ひつじ」撫で羊

 京都嵐山の法輪寺には羊の像、法輪羊(ほうりんよう)があり、撫でると知恵が授かるそうである。この寺の境内には羊のほか12支の牛や虎の像もある。ところで、十二支の数詞も動物の羊も日本への持ち込まれたのは飛鳥時代初期、西暦600年頃である。したがって、江戸時代には羊はいたはずだが浮世絵に描かれている羊はほとんど山羊だそうである。図13の像はあごひげがないので羊であろう。夏の土用にはうなぎを食べる習慣があるが、冬には冬の土用があるそうで、2月1日は冬の土用の「未の日」である。この日は未(ひつじ)はもてもて、撫でられ、「ひ」の字のつくヒラメやひじきを食べると元気が出るそうである。北海道の羊肉ジンギスカン鍋も賑わう。

撫で羊
図13 羊 法輪寺の撫で法輪羊

 9.「申:さる」撫で猿

 猿もまた神様の使い、神猿(まさる)として敬われてきた。神猿を「まさる」と読ませているのは「勝る」や「魔去る」にあやかったものであろうが、猿は音読で「えん」であるから、魔除けだけでなく「縁」結びのご利益もあるのだそうである。
 東京千代田区の一等地には江戸三大祭の一つ、山王祭として知られる日吉神社がある。ここには図14のような雄雌の神猿の石造があり、安産祈願は、子を抱いている母猿像に触れ、商売繁盛や社運隆盛を祈願する場合は父猿像を撫でるのだそうである。
秋田地方には、猿は馬の世話をしたり病気を治したりして、馬の守り神、厩神(うまやがみ)として敬われていて、馬小屋に猿の頭蓋骨などを置き魔除けとする厩猿(まやさる)信仰がある。

撫で猿
図14 申 日吉神社の雄雌の撫で猿

 10.「酉:とり」撫で鶏(とり)

 酉(とり)は鶏、岩戸にこもった天照大御神に出てきてもらうため鳥を集めて鳴かせたという神話があるが、その長鳴鳥は鶏であり、太陽信仰において鶏は霊鳥であった。 名古屋の熱田神宮には名古屋コーチン(図15左)が勝手に住みつき神鶏として大事にされてきた。ところが松江市には鶏嫌いな神社があり、神様がおられる。大国主命の子、恵比寿様を祀る美穂神社である。ここは鶏の鳴きによって災難を受けた大国主命を憐れんで、恵比寿様は鶏嫌い、特に鳴く雄鶏が嫌いで、美保関町の氏子は今でも鶏卵・鶏肉を忌み嫌い食べないそうである。この話を聞くと、大国主命系は、神鶏・霊鳥とされる天照大御神系ではないのでなないかと推測できる。
 同図の右は、岡山県姫路市の播磨国総社宮境内にある撫でミミヅク(この宮ではミミズクと伝えられている)である。この銅像のミミヅクは、この社の神使らしく、参詣者は撫でることで知恵の授けを受けているそうである。ちなみに、ミミズクとフクロウの違いは、頭が丸いのがフクロウ、頭に角のように見える耳羽のあるのがミミズクであるが、生物学的には同じである。

撫で鶏
図15 酉 熱田神宮の神鶏(左) と 播磨国総社の撫でミミヅク(右)

 11.「戌:いぬ」撫で犬

 大分県中津市耶馬渓岩屋には無数の石仏があることで有名な羅漢寺がある。その岩屋に「極楽のなで犬」(図16左)がいて、撫でられ過ぎて犬の原型を留めないほど手ずれしている。「雨垂れ石を穿つ(うがつ)」という諺のように、柔らかい手指であっても継続的に触られ、擦られると硬い石でも減ってしまう。このことについては別項でも紹介した。
 このほかにも、東京都中央区の水天宮には子宝や安産祈願で撫でられ、手ずれした親子の撫で子宝犬像がおかれている。また、神奈川県平塚市にはお産を軽くするための「安産さすり犬」など多くの撫で犬祈願がある。
中でもぜひ紹介しておきたいのは金毘羅さんの「こんぴら狗(いぬ)(同図の中)である。場所は、金毘羅さんの高橋由一美術館前にある。この図には銅像前に賽銭箱はないが、現在では備えられている。「えらかったね!よくやったね、よしよし!」と頭をなでながら参詣客が賽銭を入れるためである。なぜ、なでなでして褒めてくれるのか、それは、清水の次郎長の金毘羅参り代参をした森石松と同じように代参した犬だからである。高齢者や身障者、785の階段を登れない人や都合により参詣出来なくなった人の代参である。首に下げた袋には、飼い主が分かる木札と初穂料や道中の食費などを入れ、途中は、旅人が世話し連れられて代参を果たしたそうである。
 お伊勢参りの代参をした犬もいた。名を「おかげ犬」という。この犬は撫で犬像にはなっていないが、同図右に示すような歌川広重の「東海道五十三次」の画像におさまっている。鳥居の下の白い犬が「おかげ犬」である。これだけではなく、おかげ横丁では、ぬいぐるみやサブレとなって土産物として売られている。先の「こんぴら狗」も江戸時代の絵図にあり、見ていると当時のほのぼのとした情景と昔人間の温もりが伝わってくる。

撫で犬
図16 戌 羅漢寺の「極楽のなで犬」(左)、 金毘羅さんの「こんぴら狗」(中)、 おかげ犬絵図(右)

 もう一つ、PR-timesさんの情報であるが、犬はどこを撫でられるのが好きかという話である。愛犬家100人からのアンケート結果によると、最も喜ぶのは腹で25%、二番目が頭で14%、三番目が背中や首や耳回りで12%だそうである。顔はあまり触れられたくないようで4%である。この情報には犬の年令が明らかにされていないが、子犬と成犬では違うような気がする。人間では、子供は頭を撫でて褒められるが、大人は頭を触られるより握手や抱擁されたの方が嬉しいからである。読者諸氏のペットはどこを撫でたら喜ぶのだろうか。

 12.「亥:い」撫で猪

 岡山県和気町の和気神社には猪親子の「撫でしし」像があるが、最も有名なのは、図17左に示すイタリアのフィレンツェ、ウフィツィ美術館にある大理石造の撫で猪である。本名は「ポルチェリーノの猪」である。このレプリカが世界各国にあり、東京にもあり、神戸では北野異人館街「うろこの家」中庭に、同図の右のようなのがある。ポルチェリーノイタリア語で子豚ちゃんのことだが紛れもなく猪である。この猪の鼻を撫でるのは、幸運が訪れるとの言い伝えがあるからである。フィレンツェの美術館にある本物の猪には触ることはできないが、あちこちにある猪像の鼻先は輝いている。人間はいかに幸運を欲し、習俗に弱く、人真似したいかがわかる。

撫で猪
図17 亥 フィレンツェの撫で猪(左) と 神戸の撫で猪(右)

豊郷小学校旧校舎とは、豊郷町観光協会 のHPに、
 豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に近江商人・商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられた。当時は「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれ、平成25年に国の登録有形文化財に登録されたとあります。
(写真は手摺を登る亀と踊り場で休憩する兎)

亀

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