第四話 書き足し事記
本項は、撫で祈願風習や伝世鏡の手ずれ等に関し、書き足りない事項を補足したものである。
1.撫で祈願のいろいろ
図24上段の左は、目の不自由な子等が、善光寺びんずるさんの目に触れ、撫で祈願をしようとして、手ずれ損耗のひどい尊者像の顔面を手探りしている情景である。この写真は、筆者が撫で祈願や手ずれ現象を調べるきっかけとなった一枚である。このように、撫で祈願はもともと手で仏像を撫でるものであったが時代の変化によって大きく変わってきて、撫でる物も作法や手順も伝統かの如く伝承されていることが気がかりである。以下、幾つかの例を紹介する。
同図上段の右は、善光寺の「びんずる廻し」という行事における撫で祈願である。中央白衣の像がびんずるさんであるが、左右から差出されている手には「福しゃもじ」が握られていて、これでびんずるさんを撫でようとしている場面である。撫でた「福しゃもじ」は持ち帰ると一年を無病息災で過ごせるとのことである。このしゃもじはもともと、「びんずる叩き」というびんずるさんお仕置き行事の道具であった。硬いしゃもじで仏像を撫でるという行事への変遷は合点がいかない。
同図下段の左は名古屋市にあるボケ封じで知られる八事興正寺(やごとこうしょうじ)のびんずるさんである。納められている西山本堂は建立以来250年を超えているが、びんずるさんの 手ずれは軽微である。それは祈願作法が他と異なるためで、ここのびんずるさんは、図にも写っているような「撫で棒」で触れるようになっている。コロナ渦中の頃は、感染予防策としてびんずるさんの撫で祈願も禁止されびんずる像の前に禁止の張り紙がされたくらいだから、確かに興正寺の撫で棒触れ祈願は感染予防策として理にかなったものであった。しかし、八事興正寺のこの作法はコロナ以前からの寺のしきたりであであった。撫で仏は元来、撫で棒のような個体によるものではなく、柔らかく温もりのある神経細胞を持つ手掌による触れ合いが基本である。
同図下段中央は、福島県河沼郡会津坂下町にある立木観音堂(たちきかんのんどう)の柱に抱きつき祈願する風景である。この観音堂は、苦しまずに往生できる「会津ころり観音」の一つで、「立木」の名の通り、見事な千手観音様がある。それは、カツラの立木に直接掘り込んだという高さ7mほどのものである。この祈願作法は今でも続いているのかと尋ねてみると、抱きつき、さすられた柱の損耗が大きくなり、今は遠慮してもらっているとの返信であった。
同図下段の右端は、熊本県球磨郡あさぎり町上南にある谷水薬師堂の「紙つぶて仁王像」である。八事興正寺の撫で祈願は、撫で棒を使った間接的な触れ合い祈願であったが、この谷水薬師堂での祈願法はもっと間接的である。どんな方法かというと、噛んだ紙つぶてを柵内の仁王像に向かって投げつけ、自分の患部と同じ箇所にくっつくとご利益が得られるというものである。同図左側の立て札には次のように書いてある。仁王とは金剛力士のことで仏教を守る門衛の神様である。
「紙つぶて仁王」2.ふれる・さわる・なでる・せせる・さする・せせる・こする
これらは、手が物や人に接する場合の用語である。広辞苑等によれば、触れる(ふれる)は偶然・無意識に触れること、触わる(さわる)は意図的とある。なでる、さする、せせる、こする等は手の繰り返し動を伴うものとされている。なでる、さする、こするは触れて肌表面を滑らせる場合、力の強弱差である。最弱が「なでる」、中ほどが「さする」、最強が「こする」である。
手の感触では、手加減、手触り、手探り、手当て等がある。このうち「手当て」は、病気や怪我の処置、または準備の意味であるが、本来は、文字通り患者の体に触れ、手を当てることで心身の苦痛を和らげ、癒すものである。後述する新たな看護処置でもある。
中国の故事に「百聞不如一見」(百聞は一見に如かず)がある。本項をしたためるに当たって筆者は、「百見不如一触」(百見は一触に如かず)でもあると思うようになった。物に触れてみたいという心情は、見るだけ以上の感情を誘発するものだからであろう。触って分かることは冷たいか温かいか(温度)、丸か角か大きいか小さいか(形状)、凸凹か滑らかなのか(表面)である。しかし、目が不自由なになってくると、人の触覚や聴覚は進化するそうであるから、これら以上の事柄が触れるだけで理解できることが容易に予想できる。
2011年5月、視力障害者の触れ合い囲碁大会がNHKで放映された。相手はプロの方である。視力障害者は自分の石(那智石の黒)と相手の石(ハマグリの白)を両手の指で触りながら位置を決め、打ち進めていくのだが、筆者も囲碁は少し覚えがあるので、その的確さに見とれた記憶がある。
今も存続しているかどうか分からないが、茨城県の取手駅の西口に触覚レストランがあった。店内は真っ暗で、客も暗闇で光るものは持ち込むことが出来なくなっていた。五感を駆使してとはいえ、触覚だけが頼りの食事(蝕事)を楽しむというのは、やはり触ることでしか得られない情報の多彩さや心情を加味した試みであった。
東京都の新宿にある日本彫刻会は、視覚障害者への彫刻鑑賞支援を行っている。その内容は、触覚の特性を生かしたもので、視覚障害者が彫刻芸術に触れる機会を設け、作品に直接的に触れて鑑賞する「タッチツアー」などの開催である。
もう一つ、目の不自由な人も健常な人も楽しめる絵本がある。「触る絵本」である。点字つきだけでなく、絵も脂インクで盛り上げ印刷をしてあり、触って立体的に楽しめるようになっている。
平成22年(2010)3月31日、中日新聞夕刊の一面トップに、「さする刺激で神経細胞再生」という見出しの記事が載った。体内の神経細胞がさすられた刺激を感じ取り、怪我で損傷した神経を修復することを愛知県岡崎市にある生理学研究所が突き止めたというものであった。触れてさするだけで治療効果のあることは、京都大原記念病院でも、患部をさするなどの「タッチング」を看護手法に取り入れ看護効果をあげているとのことである。今年のNHK「リンパのトリセツ」番組では、足のむくみ対策として、首筋や肩の鎖骨方向に向かって、患部に軽く触れ、さすることによってリンパ流れをよくする方法と効果が紹介されていた。今後、撫で祈願の効験として、新たに神経細胞の再生という項目が加わるかもしれない。
3.日常の手ずれと手ずれの簡単な実証法
手掌が物に接触しただけでは手ずれは生じない。物に触れ、撫で、さすって、擦ることによって手ずれは生じる。つまり、手掌の動きによる摩擦によって接触表面が損耗するのである。図25の左は、わが家のゼンマイ式手巻柱時計のネジ巻鍵(真鍮製)である。ときどき潤滑スプレーを噴射する以外は修理することも、80年間、時を知らせてくれている。このネジ巻鍵の手ずれを計測してみた。左ネジのため、鍵には親指と人差し指や中指が当たる。指があたる図の右側は光り輝き、手擦れしている。記憶にある使用期間は70年、18回の7日巻きであるから70年間の指との接触回数合計は65,700回である。手ずれした深さは24ミクロン(24mm/1000)であった。
手ずれは簡単な方法で実証体験することができる。まず用意するものは、紙はA4かB5サイズの普通紙、鉛筆はHB程度のものだけである。図25右のように紙に直線を書き、線に直交方向に指先で擦る。何回擦ったときに線が消えてしまうか、それまでの擦った回数を数える。手ずれは摩擦によって生じるが、滑りにくいのは摩擦係数が大きいこと、つるつる滑り安いのは摩擦係数が小さいことである。その摩擦係数は、皮膚と個体の接触では、発汗量や指紋によって大きく変わる。そのため実証では、指紋の有無による差も調べることにした。図の赤い矢印が指紋のある人差指で擦る場合である。図の緑の矢印が指の指紋のない場所で擦る場合である。指紋のない人差指の場所とは、指を「ク」の字に曲げ第1と第2関節間の水平になった部分の指裏で擦るのが最適である。注意すべきは指の擦る場所を濡らしたり舐めたりせず、自然発汗状態で鉛筆線が消えるまで続けることである。20代の若者70名での実証試験では、10回から50回までに鉛筆線が消えた人は28名、そのうちの5名ほどは20回の摩擦で線は消えた。指紋のない皮膚面摩擦の場合は、100回までに線が消えた人は23人であった。指紋指で擦った場合でも、200回擦っても完全に消えない人が2~3名いた。これらの差は、指の発汗量や指紋形態及び押しつけ力等によるものである。
4.あとがき
冒頭に、本項は邪馬台国畿内説根拠の一つ、伝世鏡の手ずれ論の妥当性を確認するために始めた調査と書いたが、「手ずれ」現象は「撫で祈願」という習俗が根幹であることが分かった。その結果、木材はもちろん、金属や岩石でも撫で行為によって損耗することを明らかになった。それでは伝世鏡も手ずれによる絵文字の朦朧化であったのかというと否である。
次の銅鏡実験結果を見ていただきたい。
謝辞とお願い
今回もまた、本項の監修にあたりあさぎり関西会の種村富康様に大変なご助力をいただき御礼申し上げます。これらの記述内容は、私の10年にわたる調査結果でありますが、未調査地区の撫で祈願習俗や手ずれ対象物については、ウイキペディアなど公開されている資料を基にしたものであります。疑問点やご意見を賜れば幸いです。また、まだ筆者の周知していない伝承や習俗、特に郷里の人吉球磨地方の撫で祈願風習や手ずれの事例について、ご教示頂ければこの上ない喜びであります。