さなぼり

第一話  はじまりは邪馬台国畿内説への挑戦

1. はじめに

 中国の三国時代、魏の国から弥生時代の邪馬台国女王、卑弥呼に贈られたとされる鏡が主に大和地方の古墳から出土する。しかし邪馬台国は弥生時代であり、その鏡がなぜ古墳時代のものから出てくるのかである。それに対して、著名な考古学者である京都大学の故 小林行雄教授は、弥生時代から古墳時代まで200~300年にわたって使われた鏡(伝世鏡)が利用されなくなって大和地方古墳に副葬されたからであり、長年にわたって使われた証拠は鏡の「手ずれ」であると唱えられた。これが邪馬台国畿内説根拠の一つである。しかし筆者は、宮崎康平氏が「まぼろしの邪馬台国」を上梓(じょうし)された頃から、同じ邪馬台国九州説信奉者であり、この畿内説根拠は納得できるものではなかった。専門外ではあったが、幸い「手ずれ」は馴染みのあるキーワードであった。

 「目に触れる」という用語があるが、目に触れただけでは手ずれは生じない。手ずれとは何かというと、手ずれは「手擦れ」とも書き、人が手指で触れ、触って撫でただけで個体材料表面が擦り減ってしまうことである。工学的には個体同士の接触による摩耗現象のことで、筆者が専門にしていたトライボロジーという学問の分野の一つである。
 次に、手ずれした伝世鏡とは、実際にはどのような状態になっているのか、図1に古来より議論されてきた伝世鏡の文様や文字が朦朧(もうろう)として不明瞭になっている例を示す。図1の左は、多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)と呼ばれるもので、欠損箇所があり、縁に沿った部分の細線鋸歯文が消えている。その右は、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と呼ばれるもので、1/4は欠落している。この鏡では、方形中に突出するはずの乳(にゅう)と称される部分は全て丸く、低くなり、その間に書かれているはずの十二支の文字も消えている。同図の右端二つは、滋賀県の丸山古墳(弥生時代後期)から出土した唐草文縁細線式獣帯鏡(からくさもんえんさいせんしきじゅうたいきょう)で、割れた形で出土しているが、故 小林行雄教授が手ずれ鏡と断定した鏡である。手ずれ箇所とされるのは、右側に拡大したように、ギザギザした鋸歯文帯であり、歯形が不明瞭である。この鏡の縁に近い外区には唐草文が描かれているのであるが不明瞭になっている。教授らは、これらは長年にわたる手ずれによるものとの主張に対して、アカデミズムに対して反骨精神旺盛であった福岡県糸島郡の考古学者、原田大六氏が激しく反論した。氏は手ずれではなく「湯冷え」や「型くずれ」など鋳造欠陥によるものと主張したのである。後でも述べるが筆者も同じ考え方であった。

伝正鏡
図1 手ずれによる絵文字の不明瞭化とされた伝正鏡の例

 ところが、手ずれによって損耗・変形している造型物が巷には多く存在し、しかも手ずれが撫で祈願という民間習俗を基(もとい)にしていることもわかった。次項では、硬い材料でも、柔らかい手指で撫で続けるとすり減ってしまうことを有名塑像の手ずれ例で紹介する。


2.有名造型物の手ずれ例

 2.1 びんずる尊者像(木造)

 びんずる尊者像は全国いたる所の寺院に置かれていて、おそらく全国で300体以上はあるだろう。仏像の材料は、愛知、富山、長野、京都、滋賀、奈良、福岡、熊本の寺院など30例の調査では27例が木材であり、他は石材や銅合金である。図2は、最も顕著に手ずれ損耗しているびんずる尊者像の例である。なかでも信州善光寺のびんずる尊者像は有名で、造立以来310年間、多くの参拝客に撫でられてきた。3体とも鼻の高さもなくなり、目の位置も分からなくなっているが、手ずれが最も激しいのは岐阜大仏殿のびんずる尊者像で20mmであった。

尊者像
図2 びんずる尊者像の手ずれ例

 撫で祈願や手ずれの典型はびんずる尊者像であるが、びんずる尊者がどういう方なのか説明しておこう。「びんずる」はピンドラバーラドバージャ(Pindola Bharadvaja)の音読である。漢字では「賓頭盧」と書くが、本項では「びんずる」と平仮名書きにして、尊敬と親しみを込めて、普通に呼ばれているように「びんずるさん」と書くことにする。びんずるさんは お釈迦さんの弟子で16羅漢のひとりである。羅漢とは、修行を収め聖者となった高僧のことである。びんずるさんは説法行脚では仏教義に反して、庶民の病気や痛みの悩みと向き合い、癒しや治療など僧医行為をして庶民に敬われた羅漢であった。撫でて祈願すれば効験ありとする噂は広まり、この行為がやがて釈迦に知れ、教義違反として釈迦に仕置きを受けることになり、今でも寺の縁側に置かれている尊者である。しかし没後も撫で祈願の習俗は収まることなく広まり、「なで仏」となって造立され、如来像や観音像、それに大師像まで「なで仏」として置かれるようになった。今日では寺だけに限らず、神社でも神様の使いとされる「神使」が撫で祈願の対象となり、あらゆる生き物や器物に触れ・撫でて祈れば開運や病快癒を授かるとの伝承ができ上がった。

 東京浅草、浅草寺山門のわきの浅草不動尊にはブロンズ製のびんずる尊者像がある。この像は、浅草観音参りの客が引切り無しで撫でさすって祈願するため全身がぴかぴか・つるつるである。金属表面を顕微鏡観察するときには、表面を研磨し、最終的には鏡面状態に仕上げるのだが、このびんずる銅像の頭はこの鏡面状態になっており、鋳造結晶組織を肉眼でも見ることができる稀な例である。


 2.2 聖ペテロ像(ブロンズ像)

 びんずるさんはわが国の聖者像の事例であるが、欧州でも聖者や有名人の手擦れ事例はたくさんある。最も有名なのがバチカン市のサンピエトロ寺院に置かれている聖ペテロ像(図3中央)である。聖ペテロはキリストが最も信頼した弟子で、天国の鍵を授けられ、地上における教会酋長の権能を明確化された弟子であった。やがてキリストは処刑され、ペテロもローマを去るとき、ふと振り返ると処刑されたはずのキリストがローマに向かっている幻影を見る。ペテロは去るのをやめて再度ローマに引き返し、役人に捕捉され、処刑された人である。13世紀末、ローマにペテロ像が設置されると、彼が天国の鍵を持った唯一の使途であることを知っている巡礼者は、ペテロ像の右足に口づけしたり、手で触れたりして天国への案内を乞い、巡礼中の安寧を祈願する習慣が定着した。そのためペテロ像の右足先は、図の左や右端との差異からもわかるように、750年にわたる人々の肌との触れ合いによって、指先や履物は跡形もなく手ずれし、損耗して原形をとどめていない。図の右端は、ペテロの右足の原形で、履物はサンダルのようなものであった。案内には、右足がこのようになったのは巡礼者が長年の口づけを続けてきたからだとある。筆者はその真偽を確かめたく30分ほど観察してみたが、口づけする人はなく、ほとんどの人が手による触れ撫でをしていた。
 やはりイエスの使徒の一人であった聖ヤコブもスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに祀られている。この聖者像に触れるには、奥まった像の背後から抱きつき、胸に触るようになっており、フランスなど遠来のサンティアゴ巡礼者が千年以上にもわたって抱きつき、撫でているため、聖ヤコブの像の胸部は手ずれし、撫で光りを呈している。

聖ペテロ像
図3 聖ペトロ銅像(中) 手ずれした右足(左) 右足の基の形状(右)

 

 2.3 爪彫り如来と真実の口(石像)

 図4左は、親鸞が爪で彫ったと伝えられている善光寺の「爪彫り如来像」である。眼病に効験ありとの言い伝えのため、造立以来825年にわたって撫で続けられてきたため、如来石像の目や顔は手ずれによる損耗が顕著で、平滑状態になっている。現在は手ずれ損傷を防止するため、御堂は施錠され、金網が貼ってあり直接的に撫でることはできない。手ずれ深さは約3ミリであった。
 図の右は、映画、ローマの休日にも出てくるローマのサンタマリア聖堂にある「真実の口」である。口に手を差し込むと、心に偽りがあると抜けなくなるとの言い伝えがあり、この前に立つ観光客は恐る恐る口に手を入れる。筆者も手を入れてみたが噛みつかれることもなく、簡単に手は抜けた。真実の口が、ここに設置されて約400年間、観光客の手に触れられ、撫でられ続けると大理石でも手ずれして、口は大きくなり、大人の手でも簡単に抜き差しできるようになっている。

石像
図4 善光寺の爪彫り如来像(左) と ローマの真実の口(右)

 

 2.4 通天閣のビリケンさんと田縣神社のご神体

 図5左は、大阪通天閣のビリケンさんである。ビリケンさんは東洋人的顔立ちであるがアメリカ生まれだそうである。足の裏をこちょこちょと触ってやるとご利益があるとかで、足の裏は窪み、その深さは、筆者の測定したときは約15ミリであった。現在のビリケンさんは三代目で、33年間、観光客に足の裏を掻かれ続けられた結果、窪みは40ミリほどになっていたそうで、ついに引退、新しいものに置き換わったようである。33年間に何人の人に撫でられたかを知るために年間の来館者数を係員に尋ねたら、税務署員と間違えられ、教えて貰えなかった。

ビリケンさん
図5 通天閣のビリケンさん(左) と 田縣神社ご神体亀頭(右)の手ずれ

 図の右は、男茎形をご神体と仰ぎ、撫でて子宝祈願や豊穣を祈願する奇祭で知られる愛知県稲沢市の田縣神社(たがたじんじゃ)のご神体と男茎形亀頭部を撮影したものである。図は、挿入図の男茎形亀頭部の木口面の硬い年輪と柔組織部分を接写したものである。柔組織部分は撫で祈願によって手ずれし、硬い年輪の部分だけが手ずれせず凸状態となる。その段差は20年間で約2ミリであった。柔らかくて脆い材料ほど、手ずれ量は大きくなる。例えば、最も細胞密度が高く、重くて硬いリグナムバイタという木に対して、最も軽いバルサ材の手ずれ量は数十倍である。金属でも石材でも同じである。


 ところで、柔らかい指先で触れ・撫でたくらいで硬い材料が擦り減ってしまうのだろうか。第三話で詳述するが、簡単にいうと指の角質層が「砥草」や磨き粉のような働きをするからである。また、ご神体である男茎形亀頭部やビリケンさんの足の裏など、手ずれ量はどのようにして測るかについて、筆者の方法を紹介しておこう。一番簡単なのは粘土を対象物に押しつけて型を写し取り、その断面を計測する方法である。しかしこの方法はミリ単位の精度でしかない。もう少し精度を上げるには特定の樹脂を使う。特殊な軟化溶剤を塗布して測定物に押し当て、樹脂表面が軟化することによって物体表面の凹凸が立体的に転写され、それを顕微鏡などで観察測定するわけである。触針式の表面粗さ測定器もよく使われたが、測定物が電子顕微鏡で測定できる範囲の形状や寸法であれば、ミクロン単位ないしそれ以下の精度で、測定分析ができる。留意すべきは、この手法は対象面に損傷を与えるものではないが、測定物の多くは文化財的なものであるから管理者の承諾は必定である。
 ちなみに、善光寺のびんずる尊者像の手ずれ量測定は、上記した方法のいずれでもない。善光寺の現存びんずる尊者像は、原形が別堂に銅像として保存されている。その像は撫で祈願の対象になっていないので顔面などは製作当時のままであり、それを簡易測定し比較した。


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