さなぼり

「山の笹舟」 ―― 平氏一門に血を享(う)けしゆえに

   更なる試練

    (一)

 智行と久夫婦は新しい屋敷を構え、何不自由なく暮らしている。
この四年程の間、夫婦は既に二人の子を為した。何れも男児である。此処にまた、やや血は薄くはなったが源氏と平家の、かつて相対峙せしもの同士の融和の印が誕生したのであった。
 鶴富はと云えば、畑仕事を中心に土にまみれて精を出している。
その合間に、時折腰を伸ばしては山椒の木に目を転じた。鈴はあの時以来其処に掛けられた儘である。が、既にもう彼女の手の届く高さではない。四十を過ぎて愛らしい孫も誕生しての此の方、もう宗久の帰還など決してないと考え、これから先の吾が身の振り方を密かに思い始めていたのである。
 昨年は義父(ちち)為継が没した。よく気の付く心根の優しい義父であった。この義父が、今日の鶴富母娘(おやこ)の生活の基盤を全て整えて呉れたと云って良い。実子以上のあしらいで、継子(ままこ)扱いされた事などさらさらなかったのは幸いであった。
葬儀は小一郎が采配し、何の滞りもなく整然と行われた。先に義母スエを失い、更に此度(こたび)為継が歿すると、鶴富も急激に襲ってきた寂寥感(せきりょうかん)を如何ともし難かった。宵闇の薄暗い灯の許にいれば、何時しか涙が流れ出て来て仕方がないのである。
その様な時に限って、肥後国宮原村の老いたであろう宮原親重とトミが事も、頻りと偲ばれた。
「如何におわそうか。孝養(こうよう)の何一つもせで……」
 宮原での子供の頃の一つひとつが昨日の事の様に思い出される。既に椎葉での生活のほうが、宮原でのそれより遥かに長いのであるが、二人の養父母や故里の山川を思い出しては涙し、一人呟くのが昨今の鶴富であった。

 翌日の午後の事である。
その日も頻りと宮原の養父母の事が思い出されてならなかった。先日来収穫してきて天日干ししていた、筵に広げたばかりのゴマガラ(茎付きの胡麻(ごま))が曇って見えた。胡麻の収穫には、茶色に変色したその莢(さや)から種子のみを取り出さねばならぬ。自ずと弾けて種子も飛び出して来るのであるが、その為に筵の上に広げて、場合によっては軽く杵状の物で叩くのである。
 初秋の雲ひとつなく澄み切った良い天気であった。
頭に巻いた被り物の下からは、汗が滴り落ちてくる。汗が目に入り痛くなった。鶴富は目の周りや額、首の周りをひと拭いして、宮原でも今頃は胡麻や大豆の取り入れに余念がない頃であろうかなどと漠然と考えていた。
 ゴマガラの茎の下端を握って叩いていると、時々弾けた種子が顔を目掛けて飛んで来る。それを避けながら叩いていると、今度は突如種子ではない何かが羽音と共に飛んで来た。
蜂である。この付近に多い足長蜂か雀蜂であったろう。
 その羽音に吃驚(びっくり)した鶴富は、慌てて屈めていた腰を上げて立ち上がり、手に持ったゴマガラの束で追い払おうとした。幾たび試みても的は外れた。追えば追う程に、蜂は執拗に頭の周りを飛び回り、彼女を狙(ねら)っている。そう思えた。その蜂が眼前に迫って来たと思えた瞬間、無意識の内にゴマガラの束で目の前を打ち払った。
が、手にしたその束は蜂ではなく、己の双つの眼球を嫌と云うほどに突いて仕舞ったのである。目の前が真っ暗になった。
「痛いッ」
 叫び声と共に鶴富は杵とゴマガラを投げ捨てて、両目を覆った。痛みで涙が止め処もなく流れる。ヌルッとして、何か生臭く臭うのは血かも知れぬ。蜂の行方はもう分かたぬ。ただ、手の甲をいつの間にか刺されていたようであった。手も少々痛むが目を開けえぬ儘其処に伏して、暫くの間動く事も儘ならずじっとしていた。
 四半時(30分)ばかり経って少し目を開き、例の泉で洗い流そうと思った。が、涙を袂で拭きつつ、目を瞬(しばた)きながらそこまで行くのも、これまた足を取られて危険極まりなかった。頭の中から背中まで汗びっしょりである。
やっとの思いで屋敷に戻り、彼女は鏡に目を映してみた。涙はまだ流れており、はっきりと映し出せた訳ではなかったが、目は真っ赤に充血し、縁も少々腫れている様である。当然ながら、作業はそこで中断した儘になった。
そして、その夜は冷えた手拭いを瞼の上に当てて、早めに床に就いた。

     (二)

 翌朝の事、久が二人の子を伴って遣って来た。
庭に目を遣ると、筵の上を中心にゴマガラの束が其処ら中に散らばっている。殆んどの束が夜露に濡れた儘である。
何事があったのか、驚き、慌てて彼女は屋敷の中に飛び込んだ。
「母様、如何なされしぞ。何事やある」
 両目に手拭いを当てて床に臥せっている鶴富の姿に驚愕し、久は急いで医師(くすし)を求めんとしたが、眼を診る医師など村里にいる筈もない。多良木か人吉まで出向かねばならぬ。
 久の徒(ただ)ならぬ動きと床に臥せる鶴富の姿を見て、幼い二人の子はワッと一斉に泣き出した。物も言えずに盛んにしゃくり上げている。
途方にくれた久は応急の手当ての後、智行に諮(はか)り、智行が鶴富に付き添って多良木まで赴く事とした。智行が手綱を取る駒の背に乗って、かの地へと出向いて行くのである。
 智行は月に一・二度、相良家へ伺候(しこう)した。時を経て、今や彼も相良家の被官(ひかん)となっている。ただ今回は鶴富が目の療治も兼ねて、今や人吉の下相良に対し上相良と呼ばれている黒肥地の頼景が館へのみ、伺候する心算である。更に、鶴富の目が幾らかでも見える内に、宮原村の宮原家をも訪ねて 養父母に会わせておきたいとも考えていた。
 何時もながらの深い山々を越えて西に向かい、二人は漸(ようや)く多良木に着いた。着くや直ぐさま医師を訪ねた。
 医師の診(み)立ては智行にも、増してや鶴富にも厳し過ぎるものであった。「何れは失明し、殆んど何も見えなくなるであろう」と言うのである。医師に見放されて如何(どう)する事が出来よう。鶴富の落胆は計り知れぬ。体が理由(わけ)もなくブルブル震えた。痛み止めと、失明を遅延させるとか云う薬を手に、やがて二人は医師の家を出た。
 智行が相良家への伺候を終えるまで、鶴富は付近の宿を借りた。そこで暫く休憩して智行を待つ事にしたのである。その間も悔し涙が溢れてくる。鶴富は黙り込んだ儘、柱に凭れて座っていた。
一刻(2時間)ほどして、智行が戻って来た。しかし、そろそろもう日暮れである。智行は鶴富のひどく落胆する姿にこれ以上の徒歩は無理であろうと判断し、今宵一晩ここにそのまま投宿する事に決した。宮原へは、明朝出立する予定である。
 翌朝、鶴富と共に宮原村へと向かう智行は、鶴富が心の内を推し量る時、もう居たたまれぬ気持ちであった。道すがら彼女が気落ちせぬよう、常に何か語り掛け、気を紛らそうとしていたのである。
「お袋様。往還の脇に花が咲いておりまするぞ。見えまするか。名は何と云う花にござりましょうや。ああ、あの山が、お袋様が何時ぞや懐かしみて話されし山にござるな」
 己の心を慮って次々と話題を持ち掛けてくる智行の配慮は、鶴富にとって、この上もなく嬉しいものに思われた。ほんに久にとって良き殿御じゃ、と感謝すればする程に湧き出る涙と、これからの己の行く末を想う時の涙で、幾度袂(たもと)を濡らした事であろう。
幸いにして智行の目には、彼女のその涙は目の怪我の所為(せい)と映っていた様であった。

       (三)

 宮原への途上の智行は駒の口綱を取っている。鶴富が「少しぐらいは歩いたが良い」と言うので智行と共に小川に沿うての徒歩(かち)であった。その村への入り口に、そろそろ差し掛からんと云う頃である。
「私はのう、智行殿……」
 鶴富の口から意外な言葉が洩れた。
「何れのう、私はこの宮原に戻りたく思うて居るのじゃ」
 智行は一瞬吾が耳を疑った。怪訝(けげん)な顔で彼女を見つめ、直ぐ問い返した。あまりにも唐突で、その意味も智行には測り兼ねたのである。
「今 何と申されしぞ、お袋様は。またこの宮原へ戻りたいと仰せにござりまするか。して、また何と。身共らを厭(いと)うておわすのか」
 智行の声は やや怒気を含んでいる。鶴富は、
「いやいや、左様なる事、露ほども思うては居りませぬ。感謝こそすれど、何ゆえ厭う事などありましょうや。その感謝も言葉に仕切れぬ程じゃ。ただのう、そなたと久が、今 睦まじゅう過ごさるるを見て私も安堵したる故、私も少々我儘(わがまま)を通させて戴こうかと思いましての、ただちょっと申してみたるのみじゃ。さりながら、この気持ちは日に日に増してゆくばかり。私も既に四十路に掛かり、もはや衰えて行くのみの身。これからこそのう、宮原の父(とと)様、母(かか)様に少しは孝養の真似事でもと思いましての。これまで何ひとつのご恩報じもせなんだ故、此度(こたび)のかかる失態もそれ故ならん。神罰をこそ蒙りしものならめ。盲(めしい)になる前に、受けしご恩の一部でもお返しして置くべく存じますのじゃ」
「お袋様、その様にご自分をお責めになりまするな」
 智行は不満である。続けて鶴富は、
「ただ、かかる話は久にも他の誰にも申して居らねば、智行殿、暫くの間内密にしておいて下され。宮原の父様が屋敷に立ち寄りて、一度は椎葉に立ち戻りし後、久には私から相諮(はか)り申すほどに……」
 鶴富の話に、智行としては素直に承知する訳にはいかない。仏頂面の儘である。二人は押し黙った儘、汗を拭きつつ宮原家へと向かった。
時を経ずして、鶴富には懐かしい屋敷の門前に立った。

     (四)

 邸内に入って、鶴富は茫然とした。
木立は昔の儘の佇(たたず)まいであるが、庭が荒れている。初秋の身を刺す様な日差しの中でも、雑草が花々を押し退(の)けて我が物顔で茂っているのだ。
家の軒先も少々緩みが来ている様で、手を加えられる事もなく、自然の成り行きに任せられた儘の様子であった。
昨日よりの鶴富は、物を見る時何とのう億劫である。医師の診立てに怖れおののく心が、より以上にそのように思わせるのかも知れぬ。見る対象物が歪み、目は閉じていたいほど疲れて、僅かばかり靄(もや)が懸かった様になっている。涙は止め処なく流れてくる。軒先の緩み加減など目の所為であろうかとも思ったが、これはどうもそうではないらしい。
  その軒下の物干し竿には、やや黄ばんだ夜具が掛けられている。微かながら、鼻を衝(つ)く異臭がした。
一体どうした事であろう、と思いつつも玄関に立った。
「ご免下さりませ。ご在宅にあられましょうか」
 鶴富が呼ばわったが、返事がない。二度目は智行も声を合わせて案内を乞うた。
ややあって、一人の老人が奥から顔を見せた。その白髪混じりの老人が、
「どなたじゃな?」
と、二人を質(ただ)した瞬間、鶴富は「あっ」と小声を上げた。
 紛れもない親重である。痩せて小さくなっている。少なくとも彼女にはそう思えた。昔日の凛として古武士然たる雄姿は、一体何処へ、何時の間に、その姿を隠して仕舞ったのであろう。鶴富は瞬時に嗚咽(おえつ)したい感情を抑え、声の限り呼び掛けた。
「父様、お懐かしゅう。鶴にございまする」
 後はもう声にならない。一度に涙が溢れ ワッとその場に泣き崩れた。
 老人は一瞬呆気(あっけ)に取られた様子であったが、すぐその場の空気を察した。
「鶴じゃと? おお、おお、紛れものう鶴じゃな。何を致し居る、早う上に上がれ。早う、早う、座敷の方に進むがよか。供のお方も是非もなくお進みなされ。いやァ、長旅ご苦労にござりもした。取り敢えずごゆるりなされよ」
 と、親重の嬉しがり様は一通りではない。すぐ茂助の嫁に頼んで、茂吉・茂助の親子や近くの村の者を呼びに遣った。その間、「暑かったであろう」と親重が湯飲みに水を注いで持って来た。
 仕事が忙しいとの事で茂助は来なかったが、その茂助を除けば皆 鶴富に会うのは三十年振りの事である。どの顔も一様に年齢を重ねている。懐かしい顔ばかりである筈なのに、ただ一部には判らぬ顔もある。聞けば皆 頷(うなず)けた。かつて、やはり一緒に遊んだ仲間であった。
しかし、このかつての仲間達と暫く昔話などする内に、何か何処かが索漠(さくばく)として釈然としない気分に捉われ始めた。どの顔と話をしていても、懐かしい筈であるが、何処かで心と心がぴたりと重なり合わぬ。男と女の違いもあろう。だが、女同士でも思いは同じであった。
何れの顔もその容貌が異なってきた様に、心も何時しか変貌を遂げていたのであろうか。鶴富は改めて三十年と云う年月の経過と、生活の場の違いによる望まぬ隔絶を思っていた。考えてみれば、此処宮原村に於いての三十年間の時空は、己には一切存在しなかったのである。
鶴富が知る者で、この間に他界した者も少なくはなかった。その者達にも思いを致す一方で、己が再び取り戻す事の出来ぬ年月の重みを、改めてまざまざと思い知らされていたのである。ただ努めて、昔の様に皆の仲間に戻りたいと振舞っていた。
「さすがは鶴様じゃ。四十を過ぎなさってもあの美しさじゃ。あれじゃぁ、椎葉の男共も放っておくまいて」
 村の者達は鶴富が心の奥の思いも知る事なく、何時までも衰えを知らぬかの如く思われる彼女の美しさに、ただ驚嘆するばかりであった。しかしその一部には、鶴富の異変に気付いた者もいた。
「そいばってん、見たか、藤六どん。鶴様の目の下が何か黒うて、隈の如(ご)たる物(もん)が出来とらしたぞ」
「いいや、そら俺(おい)も気付いとった。瞳が濁っておらす如(ごと)あって、少しばっかし目が見えなさっとらんとじゃなかろうか。うん、間違いなか。そん為、多良木まで出て来らしたちゅう話もあるけん」
 村の連中はひそひそと噂話もしたが、詳しい事情についてはまだ誰も知らなかった。
鶴富と智行は、今夜一晩親重が屋敷に泊めて貰い、明朝椎葉に立ち戻る心算である。従って今宵でも、養親二人に事の詳細を話す予定であった。
しかし、此処に着到以来気になっている事であったが、トミの姿が何処にも見えぬ。つい先程まではざわめきの最中にあったので聞きそびれていたが、一頻(ひとしき)りの喧騒も収まった頃、親重にその訳を尋ねた。
「父様。母様は如何なされてござりましょうや」
 親重はちょっと躊躇(ためら)った様にも思えたが、直ぐに答えた。
「トミはのう、今臥(ふ)せっておるのじゃ」
「臥せって、とは? どこかお悪うござりまするか。何処に臥せっておいでじゃ。疾く見舞わねば」
 そう言って立ち上がらんとしたが、親重が待てと云う様に手で遮った。彼の表情は、つい今し方までの様子とは打って変わって、幾分暗く感じられる。
「まあ、座れ。今 聞かしょう程に。母様はのう、今 鶴が顔を見ても誰かは判らぬじゃろう。もう五年程も前の頃からかのう、急にのう、悪しゅうなった。足が痛かとか言うてのう、外に出歩く事も 少のうなったのじゃ。それからと云うもの、聞きし事もすぐ忘れよる。同じ事ばかり話し掛けてくる、他はただ終日(ひねもす)ボーッとして居るだけじゃ。ただのう、覚えておるのは、そちの幼き頃の事のみぞ。さりながら そちが事、芳と思い違いを致しおる。近頃ではもう殆んど歩けぬ。寝たきりじゃによって、その事 心得し上で見舞うて遣って呉れい」
 胸から搾(しぼ)り出す様に話す親重の目は、此処 数年間の悲しみや苦しさを宿した様なそれであった。

     (五)

 トミが臥せっていると云う納戸の横の部屋へと、鶴富は急いだ。
遣戸を明けて覗いてみると、薄暗い部屋である。外の光もあまり差し込む事がない、やや湿っぽく、少女の鶴が怖がった処であった。薄れ掛けた目の所為もあったかも知れぬが、兎に角(とにかく)暗く感じた。
「母様、鶴じゃ。鶴にございまするぞ。ああ、母様、おいたわしや。如何なされた。もう、私が事、お忘れか。鶴でございまするぞ」
 部屋の中に入るや声を掛けた。返事はない。よく見ると、夜具の横に端座している。その呼び掛けにやっと振り向いたトミは、やや聞き取りにくい言葉を発しながら、怪訝(けげん)な顔付きから喜びのそれへと、一気に表情を変化させた。しかし、その目には昔日の力はなく、どちらかと云えばやや虚ろなそれであった。
「つる? 知らぬな。鶴? 誰じゃったかのう。あ、そなたは芳じゃがの。ああ、芳じゃ、芳……。戻ってきてお呉れか。もう何処へも行くではなかぞ。今まで何処に居ったとじゃ。何時、此処に戻って来遣(きや)ったのじゃ」
 トミは喜びのあまり立ち上がろうとして、二度ほどよろめいた。その痩せた体を支えながら腕を取り、もう一度座らせた。
「ああ、母様。そうじゃ芳じゃ。芳でござりまするぞ。母様と一緒に花を摘み、筍や蕨を採りに行きし芳にござりまする。覚えておいでか。母様から叱られて、屋敷の外に出されし事もございまするぞ」
「鶴よ。父様は何処じゃ。父様、父様。芳が戻って参りましたぞ。早う湯茶の支度なぞして下され」
 トミの都合で、彼女は鶴になったり芳になったりしているが、この上ない悦びなのであろう。一刻も早くその旨を親重に知らせんとしている。髪さえ梳(と)かさず、形振(なりふ)り構わぬ姿で親重を呼ぶトミに、思わず涙を誘われた。更には、老いてゆく人間の寂しさと哀れさを、今更ながら思い知らされていたのである。
己も老いたる身で、トミの面倒を見ざるを得ない親重にも思いを馳せた。ちょくちょく茂助の妻が覗いて呉れてはいるらしいが、必要以上に負担をかける訳にもゆかぬ。親重はその様に考えているのであろう。
「さあ、母様。いま少し陽の当たる処に参りましょうぞ」
 鶴富はトミに肩を貸して、何とか縁側に連れ出した。初めの内こそ、トミは久しぶりの日差しに目を細めていたが、やがてその目は松の木の一点付近に落ち着き、傍の鶴富が存在も忘れたかの様、再び横になって寝入って仕舞った。軽い鼾(いびき)さえもかいている。寝入っている姿も、昔に比べれば本当に小さく感じられる。己の目さえ悪くなければ、背負ってでも再びトミを寝所まで連れて行く事も出来るであろう。その様な事も考えながら、暫くトミの事を見守っていた。
 やがて二人の間に親重も割って入ってきた。彼は無心に眠りこけているトミの姿を見て、この様に静かに寝入る事など滅多になく、何時もは眠れぬ眠れぬと、うわ言の如く繰り返すのが常の事じゃ、と言う。
「あのしっかり者のトミが、如何してこの様な姿になって仕舞うたとじゃろう」
 何時しか遊び疲れて寝入って仕舞った手の付けられぬ駄々っ子の様な、幼い子供に再び還って仕舞ったトミである。親重は、その老女に掛け物を掛けながら、傍の鶴富に語り掛けるともなく呟いている。その目には薄く涙さえ滲ませていた。
それでもトミの安定した寝姿を見入る彼の面には、鶴富に対しての感謝の気持ちも滲んでいて、安堵し切った様な表情は好々爺そのものであった。

     (六)

 その夕べは、鶴富が此処で三十年振りの山菜料理に腕を揮(ふる)った。
美味しかったのであろう。トミも盛られた椀を残らず食した。
夕餉を済ますと、義母は、鶴富も芳もきれいさっぱりと忘れて仕舞っている。給仕をしている者は、もう下女か誰かの様に扱っているのだ。鶴富はトミを元の部屋の床に就かせて、親重と智行の居間に戻り、暫くの間話し込んだ。
 那須大八郎宗久は鎌倉から下野国・那須へ戻ったらしき事、娘久と智行の間にはもう二人の男児があって幸せな暮らし振りである事、更に過日の胡麻の収穫の際に誤って両眼を突き、近い将来失明の危険性が高い事等の全てを語り尽くした。
 鶴富の目を案ずる一方で親重を最も喜ばせたのは、既に椎葉の義父母も歿した今、再び此処宮原村に立ち戻ろうかと云う申し出であった。己も完全に盲目となる前に、親重やトミの世話をしたいと言うのである。源氏の討手も、もう二度と再び現われる事もないであろうとの判断もあった。
この宮原から一旦椎葉に戻って久に話し、その久の了解の上、近々此処に再び戻りたい旨、熱情を込めて話した。
「もうトミは、何もかも判らぬのじゃ」
 弱々しく言う親重からは、口にこそ出さぬが、出来得る事ならばそうあって欲しい、と云う思いがありありと窺(うかが)い知れた。
夜も更けてから、庭に出てみた。親重と智行は居間で何か話し込んでいる。大方鶴富の先々の事であろうが、己はそれを避けて一人庭に出てみたのである。
美しく瞬く星空であった。深閑として、肌寒さを感じる冷気からそれが読み取れた。時折、何処か遠くで咆哮(ほうこう)する犬の遠吠えだけが、闇を裂いて此処まで届いて来る。
明日もまた、気持ちのよい晴天となるのであろう。稲の収穫時期までは僅かに早いとも云えるが、早朝からの農事に備えて各家々も早い眠りに就いた様だ。全ては静寂(しじま)の中に包まれていて、物音ひとつしない。
やがて三人とも床を取った。久方振りに鶴富はトミの添い寝をするのである。その昔、彼女の子供の頃と逆であった。
 鶴富と智行は、明朝 再び椎葉に向けて戻る心算であった。

      (七)

 久は反対であった。椎葉に戻って直ぐ、鶴富は彼女に事の次第を伝えた。
 山は青々として、焼畑の跡にはもう蕎麦が伸びやかに育っていて、処によっては白い花がまだ残っている。大方の蕎麦は、そろそろ収穫の時期だ。二年目か三年目の畑であろうか。別の斜面では、鶴富にとっては因縁の胡麻の苗が風に揺れていた。
「何と云う事を申さるるか、母様は。これから先、母様にはゆるりと過さるる時こそが肝要なのじゃ。何を以って今更宮原なぞ。それにお目も悪しゅうて、一体 何が出来まするか」
 久は手厳しい。鶴富は、
「幼少の砌(みぎり)に受けし恩を返す時期は、今を措いてあらざるのじゃ。宮原のふた親が生きておわす間にのう。それも、吾が目のまだ幾らかでも見える内にあらねばならぬ」
 と久に説いた。久は久で、不満の矛先を智行に向けて皮肉った。
「吾主(わぬし)殿が付いて居りなさりながらのう」
 もう憤懣(ふんまん)遣る方なしと云う表情である。智行は宮原の内情をよく見知っているだけに、黙っている。鶴富の宮原家への帰還も已むなしと、あれ以来密かに考えてきた。
二・三日経って久も渋々承知した。鶴富と智行に縷々(るる)説かれて、頑強に抵抗を続けていた久も終に折れたのである。
「お目が本当に悪しゅうなりし時は、直ちに使いを寄越しなされよ。いつ何時でも迎えに参上いたしまする」
 こう言いながらも、まだ不快でならぬとでも云う様に眉根を寄せた久は、釈然としない面持ちで横を向いた儘である。
 鶴富はホッと胸を撫で下ろした。もう此方(こちら)で特段思い残す事はない。一日も早う宮原へ出向かねば、と気だけは急(せ)いた。
 その日から準備に取り掛かった。
取り立てて立派な調度品とてない。必用な物は久が持ち帰った。宗久が鎌倉へと旅立つ時、生まれ出る子が男児にあらばと託された『天国丸』は、久が婿智行に引き継がれた。
その他の物は皆、村人に譲る事にした。しかしながら、その一つひとつが鶴富には宗久との思い出の品々でもあった。
   ただ屋敷だけは、椎葉家の当主小一郎に諮(はか)って少々の改修を施し、妹マツ夫婦が転居して住まう事になった。天井も柱も三十年に及ぶ年月を経て、程よくくすんでいる。
(はり)の一本、遣戸の一枚まで、己を過ごさせて呉れたこの思い出の屋敷の全てを、これほど愛おしいと思った事は今までなかった事である。
 山椒の木に吊るされた鈴も取り外した。
宗久が此処に戻って来る事は、もう決してないであろう。その儘、朽ち果てても良いとは思ったが、取り外した鈴は、裏手の厳島神社の祠に密かに奉納した。棄てられた女としては、宗久との思い出も様々な品々も、全て此処に葬って仕舞っても良かったのである。
が、唯一つ気掛かりな事がある。実父景清が事である。
 もしも、宗久から景清の消息に関しての書状でもあらば、直ちに宮原の己まで知らせて呉れる様にと、久に頼んだ。これで心置きなく旅立ちも出来よう。
一つひとつ整理しているその間にも、久の子二人が「おばば様、おばば様」とまだ頼りない足取りで彼女に纏わり付いてくる。思わずその愛しさに涙腺は緩み、意思も鈍りかけた。が、此度(こたび)だけは如何なる事があろうとも己の心の儘に立ち動かねばならぬ。これまでは、彼女の身の回りの全てが水に浮かぶ笹舟の如く世事に翻弄されるばかりであった。その鶴富が、初めて己の確固たる意思として、その決意を実行に移さんとするのである。
気懸りなる事の全てを片付けた鶴富は、唯一の景清が遺品、小太刀と平家の赤旗を携えて、いよいよ宮原へと向かう事にした。今度は小一郎が椎葉家の当主として、宮原村へと付き従う事になった。やはり相良家への伺候を兼ねての事である。
 椎葉の山々も焼畑もその他の風物も、二度と眺め望む事は恐らくもう出来まい。ある種の不思議な感傷に包まれて、峻険な山々を再び下った。
どの山々にも、既に美しく紅葉が彩りを添える頃になっていた。

ゴマガラ
ゴマガラ(写真:タキイネット通販)

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