さなぼり

「山の笹舟」 ―― 平氏一門に血を享(う)けしゆえに

   帰 郷

    (一)

 三十年振りながら此処に実際住んでみると、鶴富にとっての故里はやはり変化していた。
つい先だって一時帰還した時にも感じた事ではあったが、往還や溝も所どころ改修されている。民家も新築されているものもあったし、逆に古びて仕舞っている家もある。
 しかし、最も変わって仕舞っているのは、やはり村人の心の持ち様であった。
太郎もハナも、もう昔の彼らではない。子供の頃は、彼らの大半が鶴富の意に沿って動いて呉れた。しかし、今では皆 己の心を持っている。一人残らず、既に一家を為した働き盛りの者ばかりだ。鶴富の知らぬ処で、彼らは彼らで立派に成長していたのである。
「苦労も知らぬ姫様が何を今更戻って来て、しかも目も見えぬと云うではないか」
と、何処か冷ややかな態度なのであった。宮原家の農作業には従事すれども、特にそれ以上のものは感じられない。物を訊ねると、それに対する答(いら)えがあって、それで終わりである。それ以上の進展が見られない。
屋敷には、これまで下女も幾人か居たらしい。が、トミの症状が悪化するに伴って、彼女らは徐々に身を引いて行った。残った者に対しても、トミは癇癪(かんしゃく)を起こしては気に入らぬと怒鳴り付けて、全て暇を取らせたとの事であった。
 冷ややかと云えば、近頃の茂助とて例外ではない。鶴富の帰郷前は、それとなく親重の機嫌伺なり、使い走りなりで来て呉れてもいた様であった。が、今ではあまり姿を見せる事もない。何時ぞや雨漏りの藁葺(わらぶ)き屋根を見て貰ったのみである。茂助は茂助で、彼の妻女への手前があったやも知れぬ。茂助殿にばかり負担も掛けられぬ、鶴富はそう考えて日々立ち動いていた。
外に出て他の村人に にこやかに話し掛ければ、勿論それに対して彼らも応答はする。だが、何処かよそよそしく、心に響き合うものがない。心の扉が常に開かれているのではなく、半分は硬く閉ざされた儘なのであった。
 先日は近くを流れる溝浚(みぞさら)えの為の寄り合いがあった。しかしその当日になっても、己が呼ばれる事はなかった。その溝浚えの日が来て、彼らは宮原家の近くの溝も皆で奇麗に浚えて行った。
「私はもう平景清が娘ではないのじゃ。いやいや椎葉家の鶴富でもない。最早私は宮原家の、この里の鶴なのじゃ。何故にお声を掛けて下さらぬ」
 と、鶴富は悔し涙の中で、一人呟いていた。
 村人にしてみれば、開発領主たる大地主宮原家は己らの主であり、日増しに悪くなる鶴富の目を案じての事でもあったであろう。だが、彼女にはそれが口惜しい。飯炊きぐらいは出来ようものを、と云う思いで一杯であった。

     (二)

 宮原に戻って来てからと云うもの、トミの病状は日増しに悪化して行く様に思われた。親重も鶴富が戻って安堵したのか、此方(こちら)も寝込む事が多くなった。
 左目も急速に衰え、最近では夜など殆んど盲目に等しい。右もかなり薄らいできた様子である。
「芳。芳はおらぬか」
 トミの部屋から声がする。トミにとって、鶴富は今では完全に芳なのである。続けてまた呼んでいる。
「おばば様、如何なされたか」
 すっかりこの家では芳になり切った鶴富は、半分手探りの状態でトミが部屋に行き戸を開けた。トミが事も、最近では「母(かか)様」より「おばば様」と呼ぶ事の方が多い。昔の母様と今のおばば様では、鶴富にとって既にもう別の人格なのであった。
「先程より呼びおるに、何故早う来ぬ。」
 トミには、鶴富の目が見えぬ事など問題外なのである。来るのが遅いと言っては詰(なじ)っている。
「まだ飯は食うておらぬ様じゃが、その飯の前に手水場(ちょうずば)へ行きたいとじゃ。夜は明けたかのう」
「おばば様、何を言うておいでじゃ。今は夜中にございまするぞ。それにおばば様が床にお就きになる前に、夕餉も手洗いも済んでおりまする」
「左様か。まだ飯は済んでおらぬげに思われるがのう。左様か。先程夢を見ておってな。鶴が夢じゃ。鶴がのう、『寂しか』と言うて泣いておった。芳、そなた鶴を迎えに行って呉れぬかのう」
 最近のトミの言動には少々苛立ちも覚える鶴富であったが、トミのこの哀願には彼女も思わず目頭が熱くなった。
「判りました。おばば様。鶴を近々二人で迎えに行きましょうぞ。それにはおばば様、おばば様には一日も早う元気になって頂かねばなりませぬぞ。今の儘ではとても山は越えられませぬ」
「何を申すか。鶴が家は直ぐ其処(そこ)じゃ。先だって此方(こっち)に戻って来たとじゃなかか」
 鶴富はオヤッと思ったが、戻ってきた事実に誤りはないとしても、トミの頭の中では、鶴富が居るのは己の家ではなく他の家であった。己の家に居るのは、飽くまでも芳なのである。
 トミの頭の中は錯乱している。過去(むかし)と現在(いま)の区別がない。新しい事象の判断は、過去の経験や事物に立脚してこそ可能なのであろうが、一部を除いてその過去が、トミの頭からはもうすっかり何処か遠くに飛んで行って仕舞っている。であれば、将来の事など、一寸先の事も判断出来ぬのであろう。脈絡のない話はただ堂々巡りをしているのみであって、其処から先には一歩も前に進めぬ。一応、今此処で納得したかに見えた事も、僅かな時の流れの中に埋没して仕舞うのである。全ては、もうトミの理解の外にあった。
 癇癪もよく起こした。
「おばば様、それは違いまする。それはもう三・四十年も昔の事にござりまするぞ」
などと、トミの誤りを正そうとでもすれば、
「そなたは何も知らぬ。知らぬ者(もん)が口答えなどするでなか」
と激しく罵り、鶴富を睨み据えるのである。涙は決して見せない。
己の誤りを認識できぬトミは、余程上手にあしらわぬ限り怒りを露わにして、時には近くの物を投げ付けた。老体の親重のみならず、鶴富でさえ手を焼く日々に、如何に対応したら好いのかと思い煩うのであった。
時には、トミの言動に苛立って憤りを思う鶴富は、その憤懣を親重に、
「怒ってはならぬと思えど、おじじ様、どうにかなりませぬか」
と、彼に泣きつく事がある。親重は、
「母様はもう何もかも判らぬのじゃ」
そう寂しそうに呟きながらも、トミに話して聞かせ、更に場合によっては己も声も荒げて怒り付ける事もあった。すると、トミはトミでやはり何処かに溜まっている苛立ちを、今度は鶴富に向けてくるのである。三者三様の三つ巴の戦い、いつ果てるとも知れない陰湿な悲しい戦いであった。
親重の病以来、全ては己が取り仕切って来たのだと云うトミの意識と矜持だけは、今も尚 強烈に残していて、鶴富や親重の言にも、頑として耳を貸そうとはしないのである。
 最近では鶴富の目は、外光を僅かに感じる程度しか機能していない。その所為(せい)であろう、急に聴覚が研ぎ澄まされてきた様に感じていた。
今朝は今朝で、トミの寝(やす)む部屋を覗いてみると、トミの微かな泣き声に似た呻き声がする。急ぎ手探りで夜具に手を入れてみた。例によって、夜具はその裏まで通るほど、びっしょり濡れている。尿の量が、今朝は特に多い様に思われた。日一日と夜風も冷たくなる中、トミには厠に立つ余裕もなかったのであろう。
急いで夜具を外に持ち出そうとして、鶴富は思いっきり遣戸(やりど)に右側面を当てて仕舞った。幸い、直ぐ親重が飛んで来て呉れたが、当てた右頬がまだ痛む。手で触れてみても其処だけぷっくり腫れている様である。
しかし普段は決して、己の非を認めようとしないトミである。鶴富に対し、「そなたが水を撒いたのじゃろう」と逆に厳しい眼差しで言う。危ういと思われる夜は、嫌がる養母に襁(むつき)を当てさせているのだが、量の多い日には溢(こぼ)して仕舞う事も度々であった。しかし何よりも辛いのは、窮屈だとて夜中にトミがその襁を取り外して仕舞う事であった。そんな夜に限って、決まった様に夜具を濡らした。
夜具と云う夜具は殆んどトミの小水を吸っていて、特に初夏の蒸し暑い日には、辺り一面が臭く感じられたのである。

       (三)

 鶴富が宮原村へ戻ってからと云うもの、親重の老け込み様は際立って目立ってきた。鶴富が吾が家に居る、と云う安堵感からであろう。トミの世話をする鶴富には、「済まぬ、済まぬ」と連発しながら、己は頻りに咳き込んでいる。近頃、頓(とみ)にその頻度が増えた様である。
「風邪じゃ。大事なか」
 そう言いながらも、遂に親重も寝込んで仕舞った。
ところがその二日後の夜具の中で、彼はひっそりと息を引き取っていたのである。七十六歳の、穏やかな死出(しで)の旅立ちであった。近辺でもさほど多くない長寿と云えた。
「おじじ様、何故私とおばば様だけを残して……」
 と、敬愛する養父の死に、鶴富は心底から嘆き悲しんだ。故人への愛惜は留まる事を知らない。
トミはと云えば、事態がよく飲み込めていないらしい。仏間に横たわる親重の遺骸を見て、「早く起こしやれ」と催促さえしている。鶴富は全身の力と云う力が抜けて、蛻(もぬけ)の様になった。
その憔悴(しょうすい)し切った上に目の見えぬ彼女を案じて、茂助を始め多勢の村人達が加勢に来て呉れた。つい先日まで、村人達に対してやり場のない憤りさえ感じていた鶴富であったが、彼らのこの様な姿を見れば、己の思いの貧しさに恥じ入るばかりであった。特に茂助夫婦は、鶴富に代わってあらゆる手筈を整えて、更には、他の村人達にてきぱきと葬儀の指図までして呉れたのである。
葬儀は滞りなく執り行われ、遺骸は裏山の宮原家代々の墓地に埋葬された。葬儀に際し、上と下の相良家からは弔問の使者が発った。
 葬儀も一通り済んで、二日ほど後の事であった。椎葉の里からも、椎葉小一郎、那須智行が弔問に訪れて来た。鶴富にとっても、また義弟小一郎と娘婿智行にとっても、お互い久方ぶりの対面である。
しかしながら、その義弟と婿の目には、鶴富が哀れに見えてならなかった。此処二・三年の間に、急に彼女の小皺(こじわ)が増え、手足も荒れ放題と思えたからである。椎葉に居た頃の鶴富は、「慈母観音にも似て愛に満ちた美しい貌(かお)であった」、と二人は思う。
椎葉に再び連れて戻りたいとも思うが、トミが此処に居る以上それも叶わぬ。親重の死さえ理解出来ておらぬ様なその姿を見る時、二人はもう諦めざるを得なかった。
二人の悔やみを受けて、さて彼等が再び椎葉に戻る事になった頃である。智行が思い出した様に一通の書状を取り出した。
「そうじゃ、お袋様。嬉しい書(ふみ)にござりまするぞ。待ち兼ねし義父上(ちちうえ)宗久様からの書状にござる」
 宗久からの書状と聞いて、鶴富の顔に一瞬 喜色(きしょく)が漲(みなぎ)った。喪の最中(さなか)、素直に声を上げて喜ぶ訳にはゆかぬが、直ぐ顔中に期待と不安の入り混じった複雑な顔付きになった。はきと見えぬ目で押し頂く様に智行から書状を受け取った鶴富は、その書状を一・二度撫で回した後二人に懇願した。
「読んで下され。早う、早う。私は目が見えませぬ。ああ、これは亡きおじじ様の、紛れもなきお引き合わせじゃ。何と有難き事ならん……」
 そう言いつつ鶴富は、仏壇の親重が位牌に向かって恭(うやうや)しく手を合わせるのであった。

黒原山 村から見上げる黒原山(出典:黒原山)

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