出立の朝が来た。
既にこの春の初めまでに、鶴を受け容れる為の全ての打ち合わせも椎葉家との間で終えている。これに伴う約定(やくじょう)として、宮原家が椎葉に持つ山林の一つを、椎葉家に譲渡する事にもなっていた。
供をするのは親重と茂吉の二人である。親重は大刀を、茂吉は脇差を腰に落として、両人とも股立(ももだち)を取っている。それに駒を二頭、荷駄搬送用として牽く(ひく)事にした。一頭の駒の背は、既に少女の積荷で一杯である。もう一頭にはやや少なめにして、疲れた時の鶴が騎乗出来る様に設(しつら)えた。
トミはと云えば、まだ暗い内から起きて、竹皮に包んだ握り飯をこさえている。昨夜は一睡もしなかったのであろう。眼は赤く、縁には薄青く隈さえ出来ていた。
「この分じゃと、幸い今日も良か天気になりそうじゃ。ただ女子(おなご)の足じゃて、今日の内に何処まで行けるかそれが気掛りじゃが、場合によっては野宿も覚悟せねばならぬ。トミ、一応その用意もしておいて呉れい」
親重の言いつけにも、トミは押し黙った儘である。もう、疾くとその準備は出来ておりまする、そう言いたげな面持ちである。
見慣れた山や川に、二度と再び相見(まみ)える事はないかも知れぬ、これから行く椎葉とは如何なる処であろうか、皆は私を心安く受け容れて呉れようか等々、鶴が思いを巡らしている内に、一筋の涙が頬を伝った。
万一の時を思いトミは乾飯(かれいい)も準備した。その間にも、彼女はあれこれと鶴の身支度の世話をしながら、時折袂で涙を拭いている。
行きとうない、出来得る事にあらばこの儘此処で。そう考えると、この儘 今直ぐにでも神隠しに遭うてさえ構わぬ、と鶴は今更ながら胸の内に思っていた。
その出立の間際になって、茂助とその母安が遣(や)って来た。鶴が手甲(てっこう)、脚絆に菅笠(すげがさ)の紐を締め直し、杖を持った時である。
「鶴様、お別れでございもす。何時までもお達者で。時には、おいどんが事(こつ)も思い出して下され。お名残惜しゅうござりもす。こいは粗末かもんですばってん、道中の何処かで食して下され」
そう言いながら、安は鶴の手を取らんばかりにして、竹の皮に包んだ握り飯を差し出した。安にしてみれば、この上ないご馳走であったであろう。干し椎茸に筍、蕨などを混ぜた握り飯であった。多分に、普段は麦に僅かばかりの米、或いは粟、稗等を混ぜた穀物しか食していない茂吉一家である筈なのに、その握り飯は米であった。その様な握り飯など、彼らにとっては年に一・二度の、この上ない贅沢な代物であった筈だ。心から鶴はありがたいと思った。
茂吉は鶴の手からそれを預かり、トミの乾飯と一緒に背中に斜めに背負った。
その母親の横では、茂助が何かごそごそしている。
「こいば……」
安の挨拶が終わるのを待ち兼ねたように、茂助が懐から何かを取り出した。「こいば」とは「これを」という意味である。取り出す際に、チリンと軽い清々しい音がした。
鈴である。二個を対にして赤い紐で繋げている。茂助から受け取った鶴は、暫くその鈴を見ていたが、二・三度己の耳元で振ってみた。
「重畳(ちょうじょう)」
すっかり大人びて振舞う、品の良い彼女の唇から出た言葉はたったそれだけであった。
ただ、この別れの間際に何故鈴であるのか判らない。多分それ程の深い意味があった訳ではなく、茂助にすれば餞別代わり程度の物であろうと、鶴は考えていた。
その鈴を造作なく、何の思い入れも特段なさそうに、鶴は旅装束(しょうぞく)の袂(たもと)に仕舞った。
椎葉へ抜ける道は難渋を極める。
宮原から久米に至り、其処から更に遠く湯山に至る。その久米から湯山までの旅程が第一の関門であった。
肥後と日向の国境に聳える市房山。この山裾の湯山は、この付近の湯治場でもある。旅籠(はたご)も三・四軒並んでいる。急流求麻川の上流に位置し、その求麻川を目も眩むほどの高さから眼下にして、峻険なる山峡(やまかい)を此処まで登って来たのである。全身、汗びっしょりであった。
鶴の足は右へ左へと勝手にふら付く。もう一歩も前に進めないという足取りである。一歩、一歩とどうにか前進する毎に、この世とは違うとんでもない別世界へと道を辿っている感じでさえあった。
「父(とと)様。椎葉まであと如何程(いかほど)の道程(みちのり)がござりまするか」
「そうじゃな。あと残り十里(約40キロメートル)もあろうかて。まだ半分も来てはおらぬぞ」
その親重の言葉に鶴はふうッと溜息を突き、思わず弱音を吐いて仕舞った。
「鶴は、私はもう一歩も歩かれませぬ。豆も足に出来て、それはもう痛うござりまする」
鶴は頻りに足の豆を気にしているが、親重の見るところ、足も少々浮腫(むく)んでいる様子である。歩く姿は、もうこれ以上の歩行に堪えぬという姿であった。
「されば、今宵一晩 此処に投宿致さん。じゃによって、明朝の出立は、今朝よりも遥かに早きものと覚悟致せよ」
親重の、仕方あるまいと云う貌(かお)を覗き見て、少女は嬉々(きき)とした。
「あい」
思わず声も弾んで、まるで幼い子供の様な返事になった。
鶴はもう有頂天に近い趣である。無理もない。生まれてこの方 何処ぞへの投宿など、終ぞなかった事である。しかも、もう今朝ほど の出立の際の養母(はは)トミの悲しげな姿も、物陰から見送っていた茂助の姿も、今ではすっかり忘れ果てて仕舞っている。
何時もは何処かに怖い思いのする養父(ちち)も、今日ばかりは己を労(いたわ)って呉れている、そう云う思いもした。更には彼女の心の奥底の何処かに、初めて養父に甘えてみたいという
これまで思ってもみなかった衝動にも駆られていたのである。
宿に入ってすぐ、敷物に腰を落とした鶴は思いっきり足を伸ばした。時折浮腫んだ足を擦(さす)っている。普段 行儀作法を小うるさく言う親重であるが、この時ばかりはこの厳父も黙っていた。
そしてその夜は、湯治場の湯を浴びた後 皆ぐっすり寝入った。
翌朝になった。
養父の言の通り、まだ暁の内の出立となった。宿に頼んでいて呉れたのであろう。早い朝餉もそこそこの出立となった。
山はいよいよ険しくなった。右も左も鶴の上から覆い被さって来る様な山に次ぐ山である。岨道(そばみち)からは、求麻川の上流であろうか、遥か眼下に見下ろす深い流れと、時々 頭の上に初夏の青空が見えるばかりである。此処では空の青さや雲よりも、山々の樹木の深い緑の方が多く見えた。
故里の宮原も山の多い処であったが、まだ盆地であるだけに広々とした青空も望めたし、遥かに遠くまでの田畑さえ見渡せたのである。
一刻(いっとき)(2時間)ほど山を登って行くと、いよいよ椎葉の入り口に差し掛かった。国境を示す道標が設けられている。鶴はホッとして親重に旅程の具合を尋ねた。すると、
「椎葉は九州一の山林じゃによって、まだ端に着いたばかりじゃ」
と言う。時折駒の背にも乗せてもらったが、やはり腰も、いや何よりも尻が痛い。殊に背に多くの荷駄を乗せ、喘ぎあえぎ蹄(ひづめ)を踏みしめる駒に長く乗る訳にもゆかなかった。それ以前に、駒の背では時折目の前に突き出た木の枝に頭を打ち付けそうになって、その度に身を低く屈めねばならぬのである。
益々、山は深くなった。道なき道の所どころでは、樹木の枝葉に行く手を阻まれている。谷川は幾条(いくすじ)も流れていて、川中には大石がゴロゴロと転がっている。その渓流の大石小石の間を縫って水は滔々(とうとう)と流れているのである。よく見ると、これまで見てきた求麻川の流れと反対の様である。求麻川は東から西へと流れていたが、ここでは西から東へと流れている様だ。鶴はこれで初めて異郷に行きつつある思いがした。
反対側の山の中腹からは、今にも大きな岩石が頭の上から落ちて来そうであった。その巨岩と巨岩の間からは、至る処で水がチョロチョロと流れ出している。そして、流れ出した水は山道をすっかり滑(ぬめ)らせているのだ。此処の山々は、腹から水を吐いている、鶴にはそう思えた。
打ち続く山陰の滑った羊腸(ようちょう)の小径(こみち)に、鶴は幾度転びそうになった事であろう。道と雖も広い所で約一間(1.8メートル)、狭い場合には四尺(1.2メートル)もあったであろうか。鶴が転びそうになるその度に親重なり茂吉が手を貸したが、もしそうでなかったらと、深い谷底へと落ち兼ねない思いに肝を潰した。
猿であろう。時折キキッと啼いて枝から枝へ飛ぶ物がある。時々歩を休めては、その方向へ眼を遣った。
椎葉はこれよりもっともっと山深い処なれば、きっと猪も鹿も、いやもっと恐ろしい熊あたりも居るのでは……。その様な事を考えていると、鶴はこれから迎えねばならぬ生活に身の竦む(すくむ)思いさえするのであった。
随分と山に継ぐ山を登って来た。息を切らせつつ登って来た山道を降る時はさすがにホッとしたが、それも束の間、再び登りが始まるのである。
低い処と雖(いえど)も、谷川を渡らねばならぬ。石から石へと跳び、時には膝から下を濡らしながら渡った。もう嫌じゃ、と幾たび思った事であろう。
更にまた山の登りとなった。今度はより一層高そうである。あちこちに見える山々も、三・四百丈(約1000メートル)の高さはあろうと思われた。あの山は市房の山であろうかなど考えてみるが、宮原の村から見る山とは全く外形が異なっているだけに、さっぱり判らない。それとも話に聞きし高千穂の峰々であろうかなどと、まだ見たこともない山をも想像していたのである。
山頂に近い場所から連山を眺めつ、更に遥か下を望んだりと、三人はその景観に感嘆していた。ただ、西の方角に目を遣れば、何時の間にか陽も随分傾いている。特に山陰(やまかげ)に入ると、空にはまだ幾ばくかの青さも残してはいるものの、日暮れが早く感ぜられた。そこで、親重と茂吉が「夜道は危険じゃ」と言うて、草地の台地状の場所を探し出して来た。二日目の夜は、其処に野宿する事にしたのである。
茂吉は山から水を汲んで来た。更にその付近の枯れ木を拾い、火を熾(おこ)した。獣や蛇の類から身を護る為にも、また寒さを凌ぐ為にも火を熾し、その火は親重と茂助が交代で見守る事にしたのだ。
夕餉は、茂吉の妻安が作ってくれた握り飯を食する事とした。二日目になるので悪くなってはいぬかと、やや心配でもあったが、中に梅干を入れてあった為か少々硬い位で特に異常はない様であった。
食事を終えやがて全天空が闇に包まれる頃、茂吉は駒の背から簡単な夜具を取り出して、三人はそれぞれに身を包み横になった。
見事な星空であった。天の川も天高く横に流れている。暫く眺めていると結構流れ星も多い様である。次から次へと流れている。流星がこの様に多いとは今まで思った事もなく、鶴は新しい発見でもしたかの様で、素直に嬉しかった。
時折、煙が己の方に流れて来た。その都度噎(む)せたりしたが、それ以上に夜の寒さのほうが身に応え(こたえ)た。これ程山の外気が冷たいとは、今まで思ってもみなかった事である。それでも疲れからか、何時の間にか寝入って仕舞っていた。
「鶴様、寒くはありませぬか」
幾度か茂吉が声を掛けていて呉れた様子であったが、まどろむ彼女にとって煩わしさ以外の何ものでもなかった。「ううん」とか「ああ」とか「重畳」とか、適当な返事をしていた様であった。
明くる朝、また歩き始めた。何時の間にか山を下り、川に沿うて歩いている。樹々の間から見え隠れする川は、歩く程に川幅が広くなってゆく。耳川であった。その瀞(とろ)は青々として、鶴を水底まで引き摺り込んで行きそうであった。
「もう近いぞ。今暫くの辛抱じゃ」
と、親重が言う。その親重に、彼女はただ黙々と附いて行くだけであった。
ややあって、三人は川幅の最も狭い場所に架けられた木橋を渡った。下には耳川の水が満々と流れている。橋が此の儘落ちるのではないかと思われたが、無事三人と二頭の駒が渡り終えた。
更に暫く歩く程に、と云うより足を引き摺る程に、鶴は見慣れない光景を目にし始めた。今まで樹林とばかり思っていた山の中腹の処どころに、緑の広々とした畑がぽっかりと穴を穿(うが)っているのである。
「焼畑じゃ」
直感的にそう感じた。焼畑ならば求麻でも一・二度は見た事がある。しかし、これ程広く山の中腹に植えられた作物を見たのは初めてであった。遠目にも小さく数人の男女が蠢(うごめ)いている。多分蕎麦(そば)の後作(あとさく)に、稗か小豆か知らぬが栽培しているのであろう。それを脇見しつつ、更に歩を進めた。
山の夕暮れは早い。何時の間にか三日目の陽も、もう山の端(は)に懸かっている。
西の空にいくらかまだ明るさの暮れ残る時分、急に山峡(やまかい)が開けてきて小さな集落が見えて来た。小屋の様な山家(やまが)から、細く一・二本の炊煙が立ち昇っている。だが、その山家の数の割には昇る煙も少ない。疲れ果てた鶴には、それを不思議と思うゆとりも既になかった。
後に判った事であったが、この地区での煙は敵に探知される惧れから、極力立ち昇らぬ様用心に用心を重ねていたのである。
一行は、漸く(ようやく)秘境椎葉に辿り着いたのであった。