9-2. 球磨神楽(かぐら)
その地方に伝わる習俗や芸能などの伝承・伝統行事を探っていくと、「球磨人:クマんモン」のルーツが分かるかも知れないということで、球磨の「臼太鼓踊り」をみてきた。その結果、この地方の臼太鼓は、熊本や八代など北方からではなく南の方からの伝承であることが分かった。人吉球磨地方にはまだ幾つかの伝承芸能がある。「球磨神楽」もその一つである。
神楽:かぐら」とは、文字通り、神が楽しむ、神を楽しませる芸能である。その起源は、古事記や日本書紀の天岩戸の段に出ているアメノウズメ(天鈿女命)の天岩戸の前での舞いにあるとされている。記紀には「天宇受賣命、、、、爲神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於番登也」とある。
漢文だから、この踊りの様子が分からないので、あえて注釈すれば、「天宇受売命(あめのうずめのみこと)、神懸(かむがか)り為て、胸乳(むなち)を掛き出で裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき」。もう少しくだけると、「天宇受賣命は神がかりりして胸をさらけ出し、着物の紐を陰部までおし下げて踊った」。
要するに、女神の天宇受売命は岩戸に隠れたアマテラスに出てきてもらうためにあらわな姿で踊った、ということでる。アマテラスは踊りを楽しんだというより、なんの騒ぎか、何の笑いか、何事かと岩戸から顔を出したところを力持ちの天手力男神(あめのたちからお)に引きずり出された。この「岩戸隠れ」など神話を基にして演じるものが岩戸神楽(いわとかぐら)である。
図1. 天鈿女命像 (岩戸神楽29番 鈿女の像) |
図2. 手力男命戸取像 (岩戸神楽30番 戸取の像) |
宮崎県の岩戸神社には、図1、2に示すような、天宇受売命と天手力男神の神楽の一場面が立像にしてある。ただしさすがに、この像の天宇受売命はあらわな姿にはなっていない。娯楽性や演劇性に富み、観てて飽きない神楽が図3の岩戸神楽や図4の「石見神楽」である。
図3. 岩戸神楽「天鈿女命」 | 図4. 石見神楽「大蛇:おろち」 |
図5. 椎葉村神楽:大河内神楽「鬼神」 | 図6. 高千穂神楽「手力雄」 |
図5は球磨郡水上村に近い椎葉村大河内地区の「鬼神(きじん)」という神楽であり、図6は高千穂神楽で、おなじみの「手力雄」(たぢからお)の舞である。これら古代神話を題材ににた演目の神楽は、いずれも観てて楽しい神楽であり退屈しない。もともと神楽は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)のあらわな踊りが起源とすれば、退廃的娯楽性も成り行きかも知れない。しかし、「目に見える華やかさばかりを追求するあまり、旧来の伝統ある神事的、儀式的な演目が軽視され、廃れていく傾向にある」とは、石見神楽愛好家の苦言である。神楽本来の神事的、儀式的要素を含む神楽が人吉・球磨地方の「球磨神楽」であるという。球磨神楽のどこがそうなのか、次にその特徴を探ってみる。
岩戸(あまのいわと)の前で、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が踊った裸踊りが神楽の起源だとすると、今から2000年ほど前の弥生時代にその源があることになるが、定説では平安時代になるらしい。「神楽」や「田楽」を基に、室町時代には「能」や「猿楽」ができ、江戸時代には「能」をさらに大衆化させた「歌舞伎」や「狂言」ができた。
球磨神楽は、熊本県人吉市及び球磨郡内各町村の神社祭礼で奉納される神楽で、直面(ひためん)の舞手が鈴や御幣(ごへい)、剣などを手に持って舞う採物舞(とりものまい)が主体。また、回る所作を基本とし、足拍子を軽快に踏み、複数の舞手による演目では縦隊・横隊と隊形を種々変えて踊る。あさぎり町では須恵諏訪神社、岡原霧島神社、深田阿蘇神社、上の白髪神社、岡留熊野座神社、築地熊野神社、皆越白髪神社などで奉納される。文化庁の国指定文化財等データーベースには、球磨神楽について次のような解説文がついている。
「球磨神楽はもとは三十三番が伝承されていたが、現在は三番神楽・獅子・岩潜・大小舞・みさき等十七番が伝承されている。これらのうちの十番前後が神社の例祭の宵宮に、また四・五番が例祭に舞われる。なお、獅子以外はいずれも直面(ひためん)である。神社の拝殿が舞台となり、拝殿の周囲や、天井から拝殿の四隅と四囲に注連縄(しめなわ)が張られ、「三笠:みかさ」を舞う場合は、拝殿の天井から二つの笠と楕円形の天蓋に似たものが吊される。舞の後段で、これが破れて中から紙吹雪が散る。楽器は太鼓(1)笛(1)(「笛揃」の曲で笛(2))及び楽板と称する板(1)で、各々本殿に向い拝殿の入口側に位置する。これは球磨郡にのみ伝承される神楽であり、採物舞で古風である。また、神楽歌には古い歌が多い。他に同類を見ない独特の神楽なので、これを選択して記録を作成する」とある。
図7. 球磨神楽の「三笠」の紙吹雪 | 図8. 青井阿蘇神社神楽殿の天井と注連縄 |
この解説文の中にある直面(ひためん)と言うのは、踊り手が面(神楽面)をつけずに素顔のままで踊ること、球磨神楽は、演目の「獅子」以外はすべて直面舞(ひためんまい)である。採物(とりもの)というのは、神事や神楽において巫女や踊り手が持って踊る道具で、鈴、扇、剣、榊、弓、杓(ひさご)など計9種類があり、これらを手に持ち舞うのが「採物舞」である。図7は、代表的な球磨神楽の一つであり、国指定重要無形民俗文化財である球磨神楽十番の「三笠(みかさ)」の紙吹雪場面がである。図8が青井阿蘇神社の神楽殿で、ここで舞われる。
この三笠という神楽は、二人の舞手が作り物に結ばれた綱をそれぞれ持って絡ませながら舞い、控えの者が雪舟を揺らして中に仕込まれた紙吹雪を散らすのだが、この終盤の仕掛けがあってショウ的要素が加味されている。しかしそれまでは実に単調な舞いが続く。派手ではなく、躍動的ではなく単調な舞いは球磨神楽の特徴である。例えば、13番の振剣(ふりつるぎ)も両手に剣を持ち回しながら舞うが、それまではゆっくりした動きである。14番の「笛揃:ふえそろい」や15番の「棟方:むなかた」では右手に鈴を持ち、ゆっくりした動きで、時に座して酒杯をあげる。16番の「大小:だいしょう」は、はじめは、右手に神楽鈴、左手に扇をもち、前垂れ髪で顔を隠し踊るが、後半は、持ち物を御幣に変え軽快に踊りながら、四つ這いに伏した相手の背中で足を上げて回すユーモラスな場面もある。11番の獅子舞は、大きな獅子頭をかぶっての舞いで、球磨神楽では例外である。シコを踏むようにしながら後ずさりし、神主に諫(いさ)められながら舞う。
図9. 白水阿蘇神社の球磨神楽「七五三」 | 図10. 球磨神楽「大小」の一場面 |
図9は水上村の白水神社の神楽殿で舞われる球磨神楽「七五三:しめいわい」の冒頭場面であり、図10は「大小:だいしょう」という球磨神楽で、前述のように、四つん這いした踊り手の背中に足をあげ回ろうとしている場面である。このように、球磨神楽は、岩戸神楽や石見神楽、それに高千穂神楽のような演劇性や派手さはない。別の言い方をすれば娯楽性はなく面白くない神楽であるが、祈りの里、豊かな隠れ里文化にはふさわしい、似つかわしい静かな神楽である。
これらの球磨神楽を鑑賞するには、たとえば、青井阿蘇神社であれば、10月8日の「おくんち祭り」の夕方から、神楽殿で10数番の奉納がある。あさぎり町であれば、須恵の諏訪神社、岡原の霧島神社、深田の阿蘇神社、上の白髪神社、岡留の熊野座神社、築地の熊野神社、皆越の白髪神社の秋の大祭前夜に奉納される。娯楽性のある高千穂神楽の鑑賞を希望するのであれば、少し足をのばして、毎年11月末~2月上旬、高千穂地区集落の神楽宿で夕方から翌日の昼まで全三十三番が夜通し舞い続けられる。