8-3. 謎の文字 烏ハ臼(うはきゅう)
「烏ハ臼」は、「うはきゅう」と呼ばれる文字である。漢字のような文字であるが、パソコンでは出てこない文字である。
「烏ハ臼(うはきゅう)」という文字にはどんな意味が込められているのだろうか。歴史学者であり仏教考古学者である元立正大学の久保 常晴先生は、その論文「烏八臼の研究」や著書『仏教考古学研究』の中で、烏ハ臼文字の意味は、
「随求陀羅尼小呪に見え、滅罪成仏の功徳を表し、吉祥成就、究意成就を表す」とされている。
これは真言宗の仏教用語であるから、少し説明を加えると、「陀羅尼」とは、文字数が多く長い真言のことのこと。その「真言」とは「マントラ」、呪術的な文句のことである。般若心経だと「・・・ガーテー パーラーガテー パラサンガーテー ボーディ・・」などお経の文言を音読したものだから意味や訳は分からず、凡人には呪文のように聞こえる。「小呪」とは短い真言のこと、「究意(くきょう)」とは、究極とは徹底の意味である。
要するに、烏ハ臼文字の意味するところとは、真言宗の功徳や祈願の用語だと指摘されている。果たしてそうであろうか、烏ハ臼文字が刻記された墓碑は真言宗関連の寺院や墓地だけではないのである。以下、そのあたりを探ってみよう。
図1. 鎌倉初期の孔雀経単字 | 図2. 「高瀬烏ハ臼供養碑」(水上村岩野) |
烏ハ臼文字によく似た鎌倉時代初期の漢字 |
「烏八臼」が組み合わされた文字は曹洞宗の墓石や供養塔に刻記されている場合が多いとのことであるが、その宗務庁でも調査研究をしていないとのことである。ところが、高千穂町教育委員会が編纂している「高千穂町の烏ハ臼資料2例」には、烏八臼について次のように説明されている。要約すると、
①鳥名を墓標に彫る事で供え物に近づく鳥を追払う。
②梵字合字の崩れや吽(うん)の合字。
③お釈迦さんの弟子 大迦葉(だいかしょう)が成仏の印として弟子に授けた字形。
④烏八臼の臼(きゅう)は、「き」すなわち「帰」と八の「き八」に臼の「う」を加え「き九」すなわち帰空を表す。
⑤「烏八臼」の文字はカンタンと読み「ついばむ」の意味で、姥捨て山伝説にあるように、屍を鳥についばませて空に帰るように墓碑の頭に用いた。
有力な説とされるのが⑥「ク+日へんに鳥」の字はかん、たんの変形で、滅罪成就(めつざいじょうじゅ)の意味を表す。
天草や人吉などではキリシタン関係として考えてある論文もあるが、何らかの願いを込めたお目出度い文字として曹洞宗関係の僧侶の知識が働いて作られたものと思われる。有力な説⑥には「ク+日へんに鳥」の字、とあるが、「日」ではなく「臼」である。そんな文字があるのだろうか。
中国字(チイエン) | 鎌倉時代初期の漢字 |
水上村岩野 | 免田東 熊野神社 | 免田東 熊野神社 | 岡原 浄光院 | 佐世保 母ヶ浦 |
図3. 墓碑の「烏ハ臼」文字と酷似の漢字 |
そこでこの「烏ハ臼」の文字を集めてみたのが図3である。上段左の中国字は、旁が「烏」ではなく「鳥」であり、発音はテイエン、意味は「鳥が嘴(くちばし)でついばむ」だそうである。
上段右は、先ほど紹介した田村 夏紀さんが明らかにされた鎌倉時代初期の鳥の異体字である。この字も「鳥」である。ただ、両字とも偏がハ臼ではない。臼の上は「ク」や「爫」がついている。実は、「烏ハ臼」墓碑とよばれる水上村の供養碑も「ハ」ではなく「ク」ではないかと筆者は考える。そのような墓石が幾つか存在するからである。
たとえば、後述する免田東の熊野神社や岡原北の浄光院の墓碑がそうであり、幾種類もの異体字が存在する。いずれにしても、この字がなぜ隠れキリシタン墓碑に刻記されているのか、またその意味は謎である。しかし、共通しているのは旁(つくり)、あえて漢字とは呼ばないが、つまり文字の右側が「とり」だということである。「烏(からす)」にしろ「鳥(とり)」にしろ「とり」には違いないからである。であれば、「とり」と宗教の関係を調べれば、何かヒントが得られるかもしれない。
古来、鳥と宗教の関係は数知れなく伝承されている。一言でいえば、鳥は霊魂という考え方である。霊魂が鳥の形をとるということは、インドやヨーロッパでは広くに信じられ、祖先の霊、死者の魂や天使を意味した。ローマ皇帝やエジプトの王は、自分の火葬に用いる木の上に鷲(わし)を止まらせて火の中にいれ、または、点火と同時に鷹(たか)を空に放って自分の霊魂を天界に運んでもらった。鳥は不死鳥(フェニックス)となって、火の中をくぐり抜け、鳥となって甦(よみがえ)り、永遠に生き延びるという。いわゆる不死鳥神話である。こうした伝説にならって、キリスト教の聖人たちも、列聖式(カトリック教会において、信仰の模範となるにふさわしい信者を聖人の地位を与える儀式)のときに白いハトを放って、霊魂を天界に運んでもらった。個々の鳥について、たとえば、鶏(にわとり)については、オスの鶏は、「あの世に死者の魂の到着を告げて魂を導く、また、悪霊と暗黒を退散させ、光をもたらす」とされている。烏(からす)では八咫烏(やたのからす)である。八咫烏は日本神話において神武東征の際、神武天皇を熊野国から大和国への道案内をしたとされる三本足の烏が有名である。
鳩(はと)は、旧約聖書のノアの箱舟の伝説にも由来し、オリーブと共に平和の象徴であり、ギリシア神話においては、愛と美の女神の聖鳥である。しかし、何といっても鳩は通信用の伝書鳩としても古代から盛んに飼育され、利用されてきた。したがって、霊魂の伝達鳥として仕立てられた可能性は十分にある。このほか、霊鳥とされた伝説の鳥は、金色の鵄(とび)、恩返しの鶴(つる)、鳳凰(ほうおう)、朱雀(すざく・すじゃく)、などなど沢山の霊鳥や怪鳥が伝説には登場する。
このようにみてくると、「烏ハ臼」文字やそれに類する文字は「偏」よりも「旁」に意味があるのではないかと思われる。隠れキリシタンの信仰と霊魂を鳥に託するために刻記されたのではないどろうか。では、
などの編は何を意味するのだろうか、臼の冠の部分は、いずれも鳥の嘴(くちばし)の |
図4. 大分県杵築(きつき)市宗玄寺の烏ハ臼文字墓 |
大分県杵築市の宗玄寺本堂の裏山斜面には沢山の墓があり、そこには図4に示すような、五角形の烏ハ臼文字墓が林立している。写真を拡大すると烏ハ臼文字が読み取れる。
この寺は国東半島付け根の南側にあるが、大分市の南には隠れキリシタン大名 大友 宗麟一族の利光 宗魚が築いたとされる鶴賀城がある。その山中には、やはり、ひっそりと隠れキリシタンの象徴である逆卍や烏ハ臼文字が彫られた僧侶墓がある。
千葉県佐倉市臼井地区に曹洞宗の長谷山宗徳寺という寺がある。そこの境内に、御影石でできた「八臼烏供養塔」があり、碑には次のように書かれている。「(略記)當山は、天明3年(1783)3月15日、火災にあい諸堂すべて焼失した。その時、鳴いて急を告げたのが八臼烏であり、この供養塔を建立して山門の火砕や盗難のない安寧を祈念する」。「八臼烏」は烏ハ臼のことではないだろうか。住職の見解は神話の「八咫の烏」ではないかとのことであるが、鳥であることには間違いない。
ところがややこしいことに、隠れキリシタンのものとされる墓碑には、旁が鳥や烏ではなく次に示すような文字も刻記してある。烏も鳥であり問題はないが、鳥類ではない文字がある。
図5. 隠れキリシタン墓碑における烏ハ臼以外の謎の文字 |
最後に、隠れキリシタン墓碑の指標として刻まれている〇印についてである。墓碑の場合、〇頭刻といい、その例を図6と図7に示した。
図6. 浄光院墓地の墓石文字 | 図7. 野添墓地の墓石文字 | |
「鵮」文字のある僧侶墓(あさぎり町岡原北)と〇印のある墓の例(多良木町久米) |
なお、図6に示したあさぎり町岡原北の浄光院墓地の「烏ハ臼」文字に酷似の墓石は、この浄光院が江戸時代まで真言宗の寺であったころの僧侶の墓である。なぜなら、戒名が「了雲禅定門・・」とあるからで、「禅定門」の戒名は仏門に入って剃髪した者を指し、禅定門士の略だからである。この寺の僧侶は隠れキリシタンであった。