深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義7.人吉球磨地方の自然

7-9.不知火海の謎 海丘群

 八代海は不思議な灯りがともる海だから不知火海(しらぬいかい)とも呼ばれている。
不知火海は人吉球磨地方ではないが、近所のよしみで、この不知火海の不思議を紹介する。周知の不知火現象のことではない。不知火の灯りの現象は分かっているが、今なお分かっていない不思議なものがこの海にはある。八代海(不知火海)の海底の話である。八代海底には日奈久断層の末端断層があることも知られているが、今回は、まだ確認されていない謎の海底の話である。

 2009年6月2日、第10管区海上保安本部の測量船「いそしお」が八代海の海底で図1に示すような海丘群を発見した。詳細は、海上保安本部の技報、「八代海南部の海底で発見された海丘群の潜水調査報告」にある。

海丘群
図1.水俣市沖の八代海で発見された海丘群のイメージ図
(出典:海洋情報部研究報告 第46号 平成22年, March, 2010 技報)

 場所は図2に示すように、出水市の北西約10kmがその海域中心である。測量船「いそしお」が行った海底地形調査では、水深約30メートルの海底に約80個の海丘群が密集していた。海丘群は、平坦な海底面に突如として存在しており、他の海域では見られない珍しい地形をなしている。

海丘海域
図2.不思議な海丘が発見された八代海域

 巡視船「さつま」の潜水班により潜水調査では、海丘の表面全体が貝類等の生物で覆われている一方、海丘周辺の平坦な海底には貝類がほとんど生息せず、また海丘の内部にも生物はみられず、海丘自体は砂や泥によって構成されていることもわかっている。その後の鑑定で、表面を覆っていた貝類の一部は、カキの仲間であることが判明したが、この海底地形がどのように形成されたかは、現在もわかっていない。
分かっていないことを幸いに筆者はひそかに海底古墳、円墳(えんふん)であってくれたらと願った。仮に、吉野ヶ里遺跡の円墳が地盤沈下して海中に没したのであれば、宮崎 康平さんの「幻の邪馬台国」は幻ではなくなる。しかし、音波や電気探査による結果では海丘の内部に何かがあるという解析像は得られていない。最後の手段は海底での発掘作業であるが、そのような試みはなさそうである。

 この海丘の成因説として、土砂投棄説、火山説、泥火山説、噴砂丘説、潮流等原因説、カキツバタ原因説、円錐カルスト説などが考えられているが、どれも仮説の域を脱してなく本当の成因はまだ分かっていない。
筆者は、カキツバタが海丘にだけ貼りつき、海底の土砂面には皆無であるということから、カキツバタが好むもの、または居心地を良くすするような海丘環境であることにヒントが隠されているような気がする。前述の曳航型海底電気探査による結果では、地下水湧出経路と考えられる幅200mの存在が明らかになっている。また、この海丘海域が日奈久断層群帯であることを考えあわせると、八代海に急迫した葦北-津奈木山地からの湧水による噴砂丘説も有力かと思う。八代海は、やはり不知火海であり、まだまだ知られていない不思議の海である。

 この不思議の海を北上すると八代港である。先に述べたように、ここは3~4世紀頃、中国の呉の国からは九千匹の河童が、7世紀には妙見さんが中国、今の中国・寧波から「亀蛇」に乗って海を渡り上陸した港である。八代は、人吉球磨地方の住人、球磨人の先祖にあたる人の港であるかも知れない。


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