深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義11. 昔懐かしふるさとの味

11-39. ノビル(野蒜)

 ノビルは、漢字で「野蒜」と書き、川の土手にも生えていて、図1図2に示すようなニラのようなニオイのする植物である。「野蒜」の「蒜(ひる)」はユリ科の多年草のことで、その仲間は、ネギやニンニクそしてノビルなどである。このノビルも縄文時代の食用植物の一つであった。その後も食べられていたようで、8世紀初めに編纂された『古事記』の中に、応神天皇が詠まれた歌として次のようなものがある。

 「いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに わが行く道の 香ぐはし 花橘は 上枝は 鳥居枯らし 下枝は 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら嬢子を いざささば 宜らしな」

 意味は、「さぁ、ノビルを摘みに行こう ノヒルを摘みに行こう わたしが進む道の香りの良いタチバナ 上の枝は鳥が止まって枯れた 下の枝は人が折り取って枯れた 真ん中の枝はつぼみが残っている そんなつぼみのような赤い少女を さぁ、妻としなさい」、である。

ノビル ノビルの根 酢味噌和え
図1. ノビル 図2. ノビルの根 図3. 酢味噌和えの例

 しかしもっと驚くことは、万葉集にノビルの調理法が載っていること。これは平安時代中期、渡来系の異才な歌人とされ 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)という人が詠んだ歌である。

 原文は、「醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃煮物」である。

 読みは、「醤酢(ひしはす)に蒜(ひる)(つ)きかてて鯛願ふ我れにな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」である。意味は、「醤と酢に蒜を混ぜ合わせて鯛を食べたいと思っているのに、水葱(なぎ)の羹を私に見せるな」である。

 ここに出てくる「羹」は「あつもの」と読み、魚・鳥の肉や野菜を入れた熱い吸い物のことであり、「水葱」とは、水田などの水湿地に生え、一見、ホテイアオイ風の水田の雑草だった水草である。図3は、ノビルの食べ方の一つ、「酢味噌和え」の例である。


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