深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義11. 昔懐かしふるさとの味

11-35. さとうきび

 さとうきびで思い浮かぶのは、森山良子さんの「さとうきび畑」(作詞作曲:寺島尚彦)である。

♪ ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
♪ ざわわ ざわわ ざわわ 風が通り抜けるだけ
♪ 知らないはずの父の手に だかれた夢を見た 夏の陽ざしの中で

 11番まであるこの歌、風には音はないが、物に当たると音になる。ここでは「ざわわ」という風の音が66回も出てくる。その6番目の歌詞がこうである。少女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らないが、大きくなると一人で父親を探しにさとうきび畑に行った。父はなぜ戦い、なぜ殺されたのか、なにを恐れて自決したのかと、通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴える、この歌は、そんな曲であり歌詞である。

さとうきび畑
図1. 奄美のさとうきび畑と子供がオヤツする風景 (写真はイメージ)

 この曲の中の「サトウキビ」は、現在、沖縄や奄美大島などで栽培されているもので、砂糖の原料となる農作物であり、図1のように、1960年代までは子供のオヤツであった。栽培種の起源はニューギニア島とその近くの島々と言われ、世界各地の熱帯、亜熱帯地域で広く栽培されるイネ科の植物である。

 筆者が、昔懐かしのオヤツとして書き残しておきたいのは、このサトウキビではなく、本当の名前は「サトウモロコシ」である。このサトウキビに対する全く同じ思い出の方が tonbiiwa さんである。

サトウモロコシ
  「サトウモロコシ」を栽培してみました。
ネット通販で入手した種子を5月16日に蒔いたところ、6日後に発芽し始め、順調に育ちました。
8月に入ると草丈は2mを超え、下旬には穂が出始めました。この写真は9月6日現在の様子で、穂先までの高さは3mほどあります。
図2:サトウモロコシ(出展:フジあんどトシの日記)

 サトウモロコシはその名の通り、葉や茎などの外観はトウモロコシに似ていますが、トウモロコシのような実は出来ず、代わりにサトウキビのように茎に糖分を蓄えます。イネ科モロコシ属で、外国ではコウリャンと呼ばれている雑穀の仲間です。バイオエタノールの原料として注目されているスーパーソルガムの親戚です。

 私が小学生のころ(1950年代)、家ではこれをサトウキビと呼んで子どものオヤツにしていました。敗戦後の砂糖が貴重品だった時代です。糖分を含んだ茎は表面が竹のように硬くて、包丁や草刈り鎌では切れません。それを「押し切り」で節の部分を取り除くように短く切り、切断面から前歯を使って硬い表皮を剥がし、ステイック状にした柔らかい髄(ずい)の部分を噛んで汁だけを飲み、口に残るカスは吐き出していました。押し切りとは、稲わらや牛のえさを切るための道具で、当時は農家の常備品で、我が家には現在もあります。
茎の収穫は穂先の種子が黒くなる頃なので、一部を切り倒して食べてみました。すると忘れていた懐かしい香りが口いっぱいに広がりました。しかし。甘みは昔ほどではありませんでした。敗戦直後は、甘みに飢えていたので、これくらいの甘さでも充分甘く感じたのでしょう・・・」

 筆者も、実は数年まえの帰省のおり、近所に昔懐かしいサトウキビを植えている方があり、穂先が黒くなっていたので、穂先を頂いて帰り、翌年、穂先の種を蒔き、育てたことがある。3mほどにまで成長し、秋の運動会のころが収穫期だったことを思い出し、切り倒し、竹のような皮を、子供の頃と同じように、前歯でむいてしゃぶってみた。その時の味、甘みは tonbiiwaさんと同じであり、当時のような甘みを感じなかった。この程度の甘さでも当時は甘いオヤツだった。このように、筆者のさとうきびに対する思い出も tonbiiwaさんと全く同じだから補足はしないが、恥ずかしながら、筆者の子供の頃は誰もが、「さとうきび」と言っていた。それが「サトウモロコシ」の学名であったとは驚きである(図2)。

 この「サトウモロコシ」は、茎から甘汁を絞り、甘味料として昔から利用されたイネ科の一年草である。子実を食用にするトウキビの変種らしい。そういえば、トウキビの茎もほのかに甘みがある。トウキビの原産地はエチオピアを中心とする東アフリカで、中国には4世紀以前に、日本には5~8世紀に伝わったらしく、サトウモロコシはこれに伴って持ち込まれたと考えられている。世界の熱帯、温帯各地に分布している。

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