深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義10. 人吉球磨地方の産物

10-5. 球磨ヒノキ

 天正15年(1587年)秀吉は九州出兵を決意した。同年4月、秀吉軍は「島津攻め」を開始した。八代の球磨川河口にたどり着くと、今の肥薩線ルートで人吉を経由して薩摩に入るか、葦北、水俣と八代海沿いに薩摩に向かうか迷っていた。
地侍の供が「この川の上流には何もありません」と進言したので、秀吉軍は八代海沿岸を進んだという。時代は下がって江戸時代、江戸幕府の巡見使が球磨川河口の八代まできたとき、供侍が「この先は猿しかいません」と言ったので巡見使は引返したという。面白く可笑しく誇張した作り話かも知れないが、空からの写真などない時代、球磨川の上流に肥沃な盆地平野があり、約1万年前の縄文時代には、九州でも指折りの定住地であったことなど秀吉は知る由もなかった。

 しかし、平成18年8月の国土交通省河川局の参考資料6:「球磨川水系の流域および河川の概要」よると、球磨川水系流域の土地利用は、森林が83%、耕地が7%。宅地などが10%となっている。球磨川水系では八代市の坂本なども含むから、あながち供侍の進言も誇張ではなかったかも知れない。熊本県の森林面積は約46万ha(ヘクタール)で県土の約6割を占めている。なかでも、人吉球磨地方の森林面積は、図1に示すように熊本県下ではダントツであり、やはり「山国」である。この図は、熊本県の平成24年統計年鑑、所有形態別森林面積の数値を筆者が図表化したもので、素データーは、九州森林管理局の平成19~23年の所有形態別森林面積である。

森林
図1. 熊本県の市町村地域別森林面積
(出典:熊本県平成24年統計年鑑)

 図2は、その人吉球磨地方の市町村別森林率で、平均で78。8%であるが、五木村は96%、水上村は92%が森林である。この数値は、平成27年の熊本県南広域本部球磨地域振興局の数値をもとに筆者が図表化したものである。当然のことながら、人吉球磨地方には木材供給事業者も多い。熊本木連認定の合法木材供給事業者は、人吉球磨地方が42と最も多く、次いで熊本市が36、益城地方24、八代地方23、天草地方12、以下、葦北、宇土・宇城、玉名、山鹿、菊池、荒尾、水俣、合志の順となっている。

森林率
図2. 人吉球磨地方の市町村別森林率
(出典:熊本県南広域本部球磨地域振興局)

 総生産額に対する林業の割合は、五木村が最高で7.4%、次いで水上村が5.5%、球磨村が4.5%と球磨地方の自治体が上位を占めている。これらの結果から、まぎれもなく、人吉球磨地方は林業の里であり、木材産地の里であることがわかる。

道標 林分 断面
図3. 紅取丘と山の道標 図4. 「紅取ヒノキ」林分 図5. 針葉樹の断面

 林業の里であり、木材生産地であれば木材、およびその加工品は特産品である。これに追い風となるように、人吉市中神町にある県有林「紅取団地」のヒノキが「球磨ヒノキ」というブランド名で関西地方に売り出された。この紅取ヒノキの特徴は、「くまもとの林業、2014.9月号 Vol。12」によると、心材が一般ヒノキよりも赤く、油分に富み、光沢もあり、強度も強いとのことである。この「紅取団地」は熊本県の次代検定林である。次代検定林というのは,全国でおよそ2000箇所あり、精英樹の子供苗が植栽され、遺伝的に優れているのかどうかを調べ,次世代の精英樹を選抜する林業実験の団地である。標高300mのこの紅取り山山頂の周りは遊歩道になっており、北東方向に球磨川と人吉市街を一望できる展望所でもある。

 ここへの道順は、人吉市の219号線から県道15号線に入り、球磨川にかかる西瀬橋を渡り、西瀬小学校前をすぎると三叉路があり、直進すれば15号線だが、そこを左折して鹿目の滝方面に向かい、すぐ右折すれば平坦道から山道に入り、案内に従うと目的地で、図3のような道標がある。山道の両側には図4に示すような二代目の紅取ヒノキの「林分」がつづいている。 この「林分」というのは、樹木の種類、樹齢、生育状態などがほぼ一様で、隣接する森林とは明らかに区別がつき、まとまりのある森林のこと。似たもの同士に分け、そのタイプごとに最も相応しい取り扱いをしていくことを「林分施業法」という。

 図5はスギ丸太の断面であるが、赤い部分が心材、白い部分が辺材である。一般ヒノキの心材はこのように赤くはないが「紅取ヒノキ」、ブランド名:「球磨ヒノキ」の心材は他より赤身がある。赤身の部分は細胞が活動を停止した部分で、硬く、腐食しにくく、強い殺蟻成分が含まれていて、白アリ被害などに対する耐蟻性に富む。なぜ腐りにくく耐蟻性に富むかというと、活動を停止した心材部分の仮道管(水分や養分を吸い上げる細胞管)や細胞壁孔は閉じてしまい、病原菌や腐敗菌の侵入を抑え込むからである。法隆寺の西院伽藍は日本最古の木造建築であり、昭和の大修理を終えたが、1300年以上の歳月に耐えている。これもヒノキ心材部の抗菌性や耐食性にあるといって過言ではない。

晴耕雨読
本稿への感想、質問などがありましたら、 メール にてお願いします。

↑ 戻る 

談義10-4へ | 目次-2 | 談義11-1へ