10-3. 球磨茶
球磨地方の水上、五木、相良、山江、球磨などの山間部には茶の木が広く自生していた。筆者の生家近くでもよく見かけ、新芽が萌え出る頃は祖母と茶摘みをした記憶がある。
摘んだ茶葉は、図1のように、大きな鉄鍋で炒って莚(むしろ)の上で揉(も)み、また炒って揉む、最後に乾かして図2のような茶壺にいれ貯蔵した。その釜炒り茶の製法が今でも宮崎県の五ヶ瀬地方や上益城郡山都(やまと)町馬見原地区で行われている。山都町馬見原地区と五ヶ瀬町は直近である。
図1.釜炒り茶の手炒り | 図2.茶壷 |
球磨地方の茶は、昭和5年にあさぎり町上や錦町において本格的な茶園造成が始まり、昭和30年代に入って高原台地に茶が植えられ、大規模な集団茶園が形成された。今では大型機械の導入も進んで生産量は増大した。現在、熊本県の生産量の1/3を球磨茶、相良茶、人吉茶、五木茶が占めるようになっている。高原台地や相良村に足を運ぶと図3に示すような広大な茶畑が続いている。町のオンリーワンツアーとして茶畑散策と新茶試飲は受けるかもしれない。
図3.錦町高原台地の茶畑 | |
出典:JA熊本経済連茶業センターブログ |
お茶を飲みながら、もう少しヨケマン話をつづけよう。「鬼も十八 番茶も出花」、鬼でも年ごろになれば美しく、番茶でも入れ立ては香りがある。不器量でも年ごろになれば娘らしい魅力が出てくるというたとえであるが、これからの話は、「鬼も十七 ヤマチャも出花」、番茶より少し早熟なヤマチャ(山茶)の話である。
図4。明治―大正期における球磨地方の山茶面積 |
ヤマチャ(山茶)というのは、山口県南西部から愛媛県西南部を北限として、人吉球磨およびえびの地方に自生する古来の茶である。図4は、熊本県における明治-大正時代の山茶の地域別面積(町)である。このように、球磨地方は明治から大正期にはお茶王国であった。なかでも、釜炒りやまちゃ(山茶)の生産量もトップであった。筆者の生家でも、祖母が大きな釜の中に落ち込まんばかりの格好で釜炒りをしていたすがたが目に浮かぶ。
元々、お茶は釜炒り茶であった。釜炒り茶は香りよく、渋み成分のカテキン割合が18%と蒸し茶より5%も高い。しかし、現代のお茶は蒸し茶であり、釜炒り茶は全体の5%である。ところが、この希少な釜炒りヤマチャでオンリーワンの地域おこしをしている町がある。それは、宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の高級釜炒り茶で、750ccボトルで、桐箱入りだと 6,048円也!